2018年2月27日火曜日

大事なもの

土曜日サンフランシスコのファーマーズマーケットで果物を買ってからサンノゼに帰ろうと思い、フェリービルディングまで歩いた。マンションからAT&Tパークまで歩き、そこからは信号ナシで湾沿いを歩いて行けるので、散歩道に適している。

バギーにはヒロを乗せて夫が押し、次男とマリーはベビーフリーの歩きを楽しみ、私は何を食べようかと考えながら一人離れて歩く。が、ポケモンGOのイベントの日だったようで、フェリービルディング近辺は混雑している。インフルエンザが流行っているので長居するのもいやで、ランチだけ買って帰ることにした。

ベイブリッジの向こう側にフェリービルディングがある

ヒロは最近バギーに入れても15分ぐらいたつと泣き始める。6ヶ月現在身長72cm、体重10Kgあまりの横綱だから、泣き声もすさまじく耳が潰れそうだ。急いでCowgirl Creameryでサンドイッチを買う。私と夫のランチも買い無事帰路につく。


ターキーサンドイッチはおいしいと思った

サラミサンドイッチ、こちらは試していないがチーズがおいしいそうだ

フェリービルディングからの帰り道ヒロは次男が抱っこし、夫はヒロの次に大事な物をバギーに入れ押して帰った。




そんなに大事なものとは・・・


RF1のお弁当でっせ〜〜

2018年2月26日月曜日

有楽町

父の本を数冊アメリカに持って帰ってきたのだが、今日その中の一冊を読み始めた。


姜尚中の『悩む力』



読み進めていくと紙切れがはさんであるのに気がついた。



父が昭和1980年の8月に書いたメモだ。この本は2009年7月に印刷されたものだから、父の認知症が始まっていることに私が気がつく少し前のものだ。



何かのタイミングでこのメモが数十年後にはさまれたのかもしれないが、見ると悲しみが襲ってきた。




これは私が最初に英語を習うためにサンノゼ大学に留学(遊学?)したあと、また違う学校に通っていた頃のメモで、父がいつ私の学費や生活費を送金するかという計画を書き付けたものだ。



私が能天気にアメリカで遊びながら生活していた時、父はどうやってお金を捻出するか悩んでいたのだろう。



当時は1ドルが227円だった時だ。



ドルが185円から260円まで変動することを想定して計算してあった。



父は不安だったのだろう。



9ヶ月だけアメリカに留学すると言って日本を出た私が、いつまでたっても帰ってこない。






このメモを父が書いた少しあとに、一時帰国した私は父と有楽町で待ち合わせたのだった。



どんな用事があって有楽町にいたのかはもう思い出せない。



が、その時の会話をはっきり覚えている。



その数ヶ月前にアメリカで初めてパーマをかけた私は、チリチリのアフロヘアにされて悩んでいたのだ。



父は有楽町の駅前で私に言った。



『銀座に行ってカツラを買おう。』


有楽町駅、ここに立つと私と父の姿がいつも見える




結局カツラは買わず、うどんを一緒に食べたあと別れた。




有楽町の駅前に立つ時いつもあの日の父と私を思い出す。



あの数日前に、父は私に会ったらお金の話をしようと思ったのだろう。



費用を捻出するのが難しい。



一体いつ日本に帰ってくるんだ?



と言うつもりだったのかもしれない。





が、父は言わなかった。



私の顔を見ると言えなくなったのだろう。



アメリカをエンジョイしている娘。



どうにかしてもうちょっとアメリカにいさせてやろう、と思ったのかもしれない。






父に対する申し訳ない思いと、父の愛を感じて涙が止まらなくなってしまった。


東京滞在費5万円と書いてある




そうだ。私も自分が死んだあと息子たちに私を思い出してもらうために、一冊の本にメモをはさんでおこう。



息子たちが母を思慕して涙するのは一体どんなメモなのだろうか。




が、問題があることに気がついた。

彼らは本を読まない

2018年2月25日日曜日

R子さんの運

今朝3時に目が覚めた時から胸が苦しい。


病気ではないが胸が苦しくて眠れない。




明け方トイレに行きたくて目が覚めた。


まだ暗い部屋を歩くのに、手元にあるiPhoneを懐中電灯の代わりに持って行く。


するとスクリーンに静岡のR子さんからのメールが浮かび上がった。


私のブログを読んでくださったのが縁で、仲良くさせてもらっている美女医さんだ。




そのR子さんのメールを読んだあと眠れなくなったのだ。




翌日の学会のために京都入りしたR子さん、建仁寺、京都国立近代美術館でゴッホ展と廻ったあと午後1時半になった。


以下R子さんの了承を得てメールを抜粋させていただく(前後の関係で少し編集させてもらっています)。



さて、xxx(私の名前)さんお勧めの鯖寿司うどんセットを食べに行くぞと決めましたが、ここからは交通の便が悪いのでタクシーに乗って(出町)商店街の入口へ。店はすぐに見つかりましたが、7、8人並んでいました。これが2時くらいかな。飾ってあるお寿司の皿が数少なくなり、もしかしてもう終わりかなと一抹の不安。

ちょうど3人前にいるのが少し年上の女性、つぎが私ぐらいの女性、そして私で、私の後ろに20代の女性がおり、みなお一人様。お店の人が、3人前にいた女性に、『お鮨はお客さんのツレまでですよ』と言ったら、女性が『私ら4人はバラバラだけどみんなひとりもんだから、相席でいいねん』と言う。ということで、結局おすしは私の次の女性までセーフでした。その後ろの老婦人はうどんだけでいいとのことで、そこまでで終わりでした。

ギリギリセーフで鯖寿司ランチにありつけたR子さん、相席になった横浜から来た同年輩の女性とも話が合い、一緒に下鴨神社に行ったあと二人で京都駅まで帰ったということ。


ずっとおしゃべりが楽しくて運がいい一日だったのかな。

とくくってあった。




実は先日鯖寿司のシッポ部分に当たってしまった姉が、先週東福寺そばの鯖寿司セットを提供する食堂に入ってうどんセットを食べたのだが、まるで別物だったということ。


その時の写真を見ても何も感じなかった。


姉が食べた鯖寿司うどんセットは1370円


が、R子さんが送ってきてくれた写真を見て眠れなくなったのだ。

やはりうまさはこの鯖の厚みから来ているんですね
出町満寿形屋鯖寿司うどんセット1000円



苦しい。


何かが食べたくて狂おしい気持ちになったのは初めてだ。


12月に鯖寿司が食べたいと思い始めるといてもたってもいられなくなった、と淡路島からはるばる京都に来てくれたNみさんの気持ちがやっとわかった。

恋ってこんなにも苦しいものだったのね

2018年2月24日土曜日

Unthinkableな出来事

明け方3時前にマリーの叫び声で目が覚めた。ヒロに何かあったとすぐわかった私はベッドから飛び降り、マリーと次男がヒロと一緒に寝ている寝室の前に駆けつけた。ヒロが火がついたような声で泣いている。次男とマリーがオロオロした声で必死に何かに対処している声が聞こえた。

ヒロが泣いているということは一応無事なのだとわかって胸を撫でおろしたが、寝室の前には2匹の猫が同じように不安そうにじっと座っている。

ヒロのプレイマットのすぐ横には重い物がたくさん置いてある棚がある
地震の際にはこれは全て落ちてくるだろう

あとで聞いた話だと、マリーと一緒にベッドで寝ていたヒロが夜中にベッドからフローリングの床に転落したそうだ。次男はマリーとヒロが寝るベッドの横の床にお布団を敷いて寝ている。二人はUnthinkable (予想もつかないような出来事)が起きた、などと言っているが、私には充分予想できていた。が、勿論何も言わなかった。

前回サンフランシスコに来た時には、お座りし始めたばかりのヒロが転んでテーブルの鉄部分で側頭部を打ってコブができた。その時も次男はオロオロしていたくせに、またこれだ。

先日はこのデカい頭をアイアン部分にぶつけた

私から見ると危険だろうに、というような場面の連続だが何も口をはさまないようにしている。親に口出しされるのが一番イラつくというのはわかっているからだ。が、こうして事故が2度起きた。普通ベッドの横に転落防止の柵をつけたりするだろうに、とため息が出る。

しかしびっくりしたのは2匹の猫たちの様子だった。

朝寝室を出てきたヒロのそばを離れない2匹

いつもは朝ご飯をせがむ猫たちが今日は鳴きもしない。コブも作らず元気に遊んでいるヒロのそばを、2時間近く付かず離れずウロウロしている。

何かを感じている様子の2匹

そしてもう大丈夫と思ったのだろう。

ハグをしてヒロの無事を祝う2匹であった・・・?

2018年2月21日水曜日

ストッキングその後

日本からクリスマス前に帰国してもう2ヶ月近くたった。そしてクリスマスがすぎた途端に刺繍していたクリスマスストッキングは、そのまま箱にしまわれた。

12月22日時点のストッキング
少しずつまた刺繍しようと思っているのに、あと10ヶ月もあると思うとなかなかその気にならない。

2ヶ月後の今日これ

姑が作っているヒロのストッキングはその後どうなったのだろうか。なにしろ朝起きるとヨガを30分する姑だ。その後歩きに行き、裏庭のお手入れ、ジムで自転車漕ぎのあとはビンゴかボーリングに出かけ、夕方は息子夫婦の犬のお散歩。そして夕食作り。

株の儲けで買った真っ赤なSUBARUの新車でデンバーを走り回っている85歳の姑に時間はあるのか。

あったようだ。

おみそれしました

2018年2月19日月曜日

焼き芋

今年の初めに誓ったこと。それはコレステロールの数値をドバッと下げる、そのために中性脂肪値を下げ、LDLを下げる必要がある、つまり運動だけでなく糖質制限が大事だということだった。友人に会うと経過を聞かれる。そしてそれにはこう答える。

👩 間食をやめたんでしょ?その後どう?
🐽 間食をやめるのはやめた。

他の友人に聞かれる。

👧 グルテンフリー生活にしてるんでしょ?続いてる?
🐽 グルテンフリー生活からはフリーになった。

そして自分に都合のいい情報ばかりを集めては納得し安心する。

いわく、コレステロール値は食事では変わらない。(了解)
いわく、カロリーと肥満は関係ない。(いつもそう思っていた)
いわく、ちょこちょこ食べる方が太らない。(間食をしろということね)
いわく、疲れた時に甘いものを摂るのは逆効果。(疲れてない時に食べている)
いわく、脂肪を食べても太らない。(脂っこいもの大好き)

だから、今朝もピーツで白い甘いパンを食べた。Reduced Fat Berry Peach Sconeだ。



しかし、こういう甘いパンが健康的なはずがない。成分を調べてみた。





この表では左から以下のように列記されている。

総量110g、300カロリー、脂肪からのカロリー70、総脂質8g、飽和脂肪酸4.5g、トランス脂肪酸0g、コレステロール105mg、ナトリウム430mg、炭水化物45g、繊維質2g、糖質14g、タンパク質6g

豆大福と比べてみる。山崎製パンのサイトからの情報だとこうだ。


一番気になる糖質は炭水化物から繊維をマイナスしたものだそうだが、するとピーツのスコーンは45−2=43gということになる。糖質が14gと書いてあるのに安心していたのだが、それはもしかしてあかんわけ?とちょっと気になる。

そうか、ではこれからは繊維質が豊富なさつまいもをちょこちょこ間食することにしよう。炭水化物から繊維質をひけば糖質は残らないのだろう。そう決めて焼き芋を3本作った。1本食べるとお腹がいっぱいになる。いいのだろうか。少し不安がよぎる。もしや・・・


問題があるような気もするが・・・

2018年2月16日金曜日

鯖寿司の伝説

姉がいつもぼやいていた。

  1. 姉は長女で親の期待が大きかったので、いつも勉強しろと言われた。対する次女の私は親から何も期待されていなかったから、のびのびと野原を駆け巡る幼少時が過ごせた。
  2. 姉はスポーツは勉強の妨げになるからダメと親から言われた。だから運動神経が全く発達しなかったせいで、子供時代に基本的な体づくりができなかった。なのに、私は毎日夜遅くまでバレーボールやサッカーなどをして楽しみ、筋肉がついた体になった(現在全て脂肪に変化済み)。
  3. 付き合う友人でさえ親が選んでいたのに、私には誰でもオッケーだった。
  4. 私にはどちらかと言えばかわいい名前をつけた親も、姉には男性と間違われるようなちとゴツい名前をつけた(両方とも珍しい名前)。
  5. そもそも小さい時近所の駄菓子屋さんで、姉はいつもはずれクジだったのに、私はことごとく当たりクジをひき、いつも景品をもらっていた。


などなど。



1から3までは私も親の態度(特に父の)が違うのはわかっていたし、4に関しても姉がかわいそう、といつも思っていた。



が、5に関しては私の責任ではないし、姉の考え過ぎだろう、と思うだけだった。



今朝姉から送られてきた写真を見るまでは。




それは京都出町柳の満寿形屋の鯖寿司ランチセット(1000円)の写真だ。




伝説の尻尾

2018年2月15日木曜日

ダイアリー by アイドル

この家に来た日は嬉しくて嬉しくておとーさんとおかーさんのあとをずっとついて回ったわ。



毎日ご飯を探して裏通りをあちこちうろついていたのに、ここでは黙っていてもおいしいご飯が出てくるし、かわいいかわいいと猫っかわいがりしてもらえたのよね。



思えばあの頃は幸せだったなあ。



ある日なんだかわからないけど、ミャアミャアとうるさい上、おとーさんにもおかーさんにも全然気を使わない生意気な奴がやって来たのよね。



今までの私の特等席を奪ってしまった憎たらしいあいつ。



あたしはこの椅子の下に来ては、いつかあいつにパンチをふるまってやろう、と密かに計画してる。



ところが最近また新たな災難がふりかかってきたんだわ。



今度はまん丸い頭のちっこい奴が、どこからかポコッと出てきたの。



一日中うるさくてたまんないし、あの爛々とした目がいつもあたしを追っかけているわけ。




その上まん丸頭は最近コロコロと転がってはあちこちに行けるようになったみたい。



おとーさんなんかもう目尻を下げて、まん丸が転がって遊べるようにお布団を床のあちこちに敷いてる。



なのに私のあとに来た生意気なあいつは、事もあろうにそのお布団の下に入ってぬくぬくと寝ていたりするじゃないの。


あたしはそのお布団に触ってはいけないんだ、ってすぐわかったからちゃんと避けて歩いているのに。



でもそういう気遣いも評価されているような気がしないのよね。あんまり。



まん丸頭はいつもハアハアと荒い口呼吸をしていて、すぐあたしの尻尾を引っ張ろうとするからハラハラして全くくつろげないんだわ、これが。




最近悟ったわ。

安心できる場所はここしかないって

2018年2月14日水曜日

恐怖ハイキング

久しぶりに自分が心臓発作を起こして死ぬかと思った。

11月に日本語クラスの代講をしたが、その日本語クラスを教えているK先生から誘われてSanta Teresa County Parkというトレイルを歩いた。

細い道をひたすら登る

K先生も私も初めて行くトレイル。携帯電話の電波もほとんど届かない場所で、二人とも自分がどこを歩いているのか定かではない。

景色は素晴らしかった

K先生はAllTrailsというアプリの地図を見ながら道案内をしてくれる。

これがAll Trailsアプリ

私も少しはお役に立たねば、と紙の地図を見るのだが全くわからない。自分がどこにいるのか見当もつかない。そうだった。私は『地図が読めない女』なのだった。

今日は冷たい風が強く、そのおかげでダウンタウンまできれいに見えた

トレイルにはかなりの傾斜の上り坂がありつらい。K先生は『脳のために息が切れるほどの運動を毎日した方がいいようですよ。』とおっしゃるが、息切れどころか脳の血管が切れそうだ。

このコースを歩きたかった


私よりも身長が10センチぐらい低く、体重も20キロぐらい軽そうだが、ずっと鍛えられて体力のある華奢な美女K先生が私を心配して何度も立ち止まってくれる。どうにかこうにか下り坂になったが、そこで二人とも自分がどこにいるのか全くわからなくなった。とにかく車を停めたところまでは帰らないといけない。トレイルには人が全く歩いていない。ここで迷子になるわけにはいかないのだ。

人間は誰もいないがコヨーテが遠吠えをしていた

コヨーテアップ

K先生がAllTrailsアプリを見るがわからない。私も紙の地図を見る(ふりをする)がわからない。

そうだ、Apple Mapは車を停めた場所が示されるはず。これだ!とiPhoneを取り出した。

この時点で心臓発作を起こしました(ウソ)

2018年2月13日火曜日

捨活

親ができる最高の子供孝行は、自分が死んだあと子供が後片付けで苦労しないようにしてあげることだ、とアメリカでも言われるらしい。

だから、大々的に物を捨てることにした。いわゆる捨活?

洋服は半分にすることを目指す。キッチンのものは80%捨てる。雑貨は90%、家具は70%捨てる。

いや、捨てるのではなく寄付するのだ。アメリカでは街のあちこちで傷のない家具や洋服などを寄付することができる。だから日本で物を整理するよりはハードルが低いかもしれない。

雑貨やランプなどもったいないが目を瞑って捨てよう

ママ友を招待してお茶していた頃は茶托も使ったが、もういらない


コートやセーター類をまず5枚、あと40枚ぐらいは捨てたいが・・・

が、思い出の品などが出てくると、手を止めて眺めてしまうのでなかなか捨活がはかどらない。


このお皿は次男が8歳の時に作ったものだ。次男はヒロが8歳の時の手と自分の手の大きさを比べてみたいだろうか、と一瞬考える。が、写真を撮って捨てることにする。

こんな物まで出てきた。長男が母の日にくれたチョコレート。確か4年ほど前にもらったと思う。あまりに嬉しくて箱が捨てられなかったのだ。

箱の下にあるテーブルも寄付する

でも、捨てよう。

捨てる前にチョコレートが入ってないか確認しましたが?