2017年2月18日土曜日

13日前 もう一度父に会いたい

父がいなくなって7ヶ月。



最初の数ヶ月のように毎日父のことを考えては泣く、ということもなくなってきた。



なのに、こうして父の最期の頃のことを書くと、父が懐かしくてたまらない。



父に会いたい。



でも、勿論それは叶わない。

亡くなるちょうど1年前の父
この頃はもうかなり痩せていた

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6月7日。


姉の職場に看護師Aさんから電話がある。



やはり父はあまり食事を摂らなくなったらしい。



5月20日以降完食の日がない。



体重は1ヶ月で2キロ減って、今日現在38.9キロということ。



エンシュアを処方する。



職場を早退した姉が、カレーとソフトクリームを持って夕方5時半に父を訪問すると、父は部屋で寝ていた。



食事に行こうと誘っても『しんどい』といやがる。



なんとか説得して歩かせたが、部屋の前のソファで座り込んでしまう。



そこに食事を持ってきて食べさせようとしたが、父は食べない。



部屋に戻って食べさせたが吐き出してしまう。



お茶も詰まると吐き出す。



バナナも吐き出す。



汚い、という不安もあるらしい。



ホームでは、甘い栄養補助食品などを足すなどの工夫をしてくれている。



頭が痛いし胸も痛いというので看護師さんに来てもらうが、熱が37度ある以外には特に問題なし。



血圧は低めでいつも通り。



酸素濃度も大丈夫。



水分も摂らなくなって脱水状態になった場合、点滴が必要となってもホームではできない。



その場合は入院する必要があると看護師さんから説明がある。



でも、本人にとってそういう治療は居場所を変わるストレスを考えると、施設で見守る方が本人にはいいのではないか、ということ。



父は姉がいると落ち着くなあと言うので、姉は2時間いて7時半ぐらいに部屋を出る。



出る時に、今日は食べてないよと父に言うと突然目が覚めたように『ほんと?頭がどうかしとったかなあ』とつぶやく。



この日の夜、牧野君が電話してきてくれる。



父が8時頃になって急に食堂に出てきて食事すると言ったので、姉が預けていた区分4のすき焼きとご飯を出したら食べた。



『お父さんにとっての食事の時間だったのかもしれないですね。』



姉が心配しているだろうと思ってかけた、というのを聞いて、姉は泣いた。


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これを聞いて私も6月中に日本に行くことを決めた。



5月の初めに帰国したばかりだが、やはり心配だ。



ちょうど奥歯のブリッジを作ってもらっているところで、仮歯では行けない。



ブリッジが出来上がるのは6月16日。



17日のフライトに乗れるとしても10日後だ。



姉から父の様子を撮った動画が送られてくる。



それを見ると、父は5月に私が見た時とほとんど変わらない。



長丁場になるかもしれない。



だから仮歯のままでは行きたくなかった。



動画を見るとまだまだ父は大丈夫と思ったのだった。

でもこんなことを考えながら
ピーツで大きなシナモンツイストを
涙を拭き拭き食らう私なんです

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