2017年2月1日水曜日

長女たち 1/3 重い親

日本から帰ってきた友人Sさんが言う。



『母の繰り言を毎日聞かされて苦しかった、母があまりにも重い』と。



年老いた母に優しくしてあげたいけど、愚痴を聞かされていると頭がおかしくなってしまいそう。



まるで甘ったれのおんぶお化けを常時背負っているような息苦しさ、ということだ。




これは多くの長女から聞く言葉だ。



『母が重い』




我が家の場合は父が重かった。



そんな父に介護される母は本当に辛いことも多かったと思う。



母が『窓を開けてほしい』と言っても、父は外から車の煤煙が入る、と開けさせない。



排便の折に肉の薄いお尻の下に入れた便器が痛くなっても、父は母に我慢させる。



排便がうまくいかなかったら病気になるかもしれないから、と母の横で延々と言い続ける。



足を自分で立てることもできない母が泣く。



呪文のように母を叱り続ける父から逃れられないと言って泣く。



普段明るい母でも、父の不安障害から来る自分勝手な束縛から逃げ場がないのは、本当に苦しかったと思う。



そんな母がかわいそうで、父に意見しようものなら、『親のことだと思って無責任だ。いい加減なことを言うな。いざという時責任を持てるんか。』と延々と責め立ててくる。



それでも、こういう父の『重さ』に気がついたのは、私が40代半ばを過ぎてからだった。

特に最後の4年間はすさまじい重さだった


姉は違った。



姉にとって父は小さい頃から重かったのだ。



長女(なおかつ第一子)として期待され、良い成績をとるのは当たり前で、いわゆる『良い友人』と遊ぶことだけが許された。



つまり、成績が良く姉にいい影響を与える友人だ。



姉は小さい頃から自分の部屋で、いつも辛い気持ちを紙に書き付けていたという。



方や私はといえば学校の帰りに川に行き、夜遅くなるまで家に帰らない。



友人たちと毎日洞窟探検に行き、とんぼを取りに行き、幼少時はひたすら遊んだ。



親は私に何も期待していなかった。



ただただ可愛がられた私は、姉の苦しみなんぞ全くわからないまま大人になった。



父は私を愛してくれる優しい人で、どんなわがままも聞いてくれる。



そして母を毎日介護するとてもいい人だった。

自分が末っ子としてえこひいきされている、
ということを知る由もなく


姉が時々父に冷たい態度を取るのを見るのはつらかった。



あんなに優しい父なのに、姉はどうして父に対して不満を持つのだ。



今から思えばなんという大きな勘違いをしていたことやら、と姉に申し訳なく思う。



姉も母と同じく逃げ場がなかったのだ。

ムカつくよね、やっぱ
下の子のこういう天衣無縫なところ

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