2017年1月31日火曜日

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父が亡くなって7ヶ月以上たった。勿論今でも父のことを思い出すと涙が出て止まらなくなってしまう。それでもやはり悲しみの質が変化してきている。最初の頃の『慟哭』という泣き方ではなくなってきている。だから、父の最期の数週間のことを少しずつ書いていけそうだ。

父のお棺に入れたカード
『いつか追っかけて行くから
待っててください』と書いた

私の外見は結構キツそうだし、喋り方もぶっきらぼうで相手に『直球を投げる話し方』と言われる。だから『何事にも動じない、冷静、淡々としている』と言われるのだが、実はものすごい小心者だ。私に比べると姉は落ち着いて言いたいことを言う。

前の投稿のコメント欄に『父が亡くなった時辛いコメントが入るのが怖いから、以前のブログにはコメント欄を設けなかった』と書いた。これはどんなブログにも時々入る悪意を持ったいたずらコメントのことで、慰めるつもりでした善意のコメントのことではない。ただ、善意のコメントでも人を傷つけることがないわけではない。

母が亡くなった時がそうだった。

父の大事なものも入れてあげたかったが、
杖と補聴器は入れられなかった
金属は火葬設備の故障の原因になるらしい

病院から連れ帰った母の遺体に会いに来てくれたケアマネさんだ。脳出血で入院していた母だが、最終的には肺炎が死因になった。お棺に入った母にケアマネさんは何度も話しかけた。『悔しいね。本当につらい人生だったね。かわいそうに。よくがんばったね。でも悔しかったね。』

目の前が真っ暗になったが、こういう時私はワナワナするだけだ。姉が(心の中で)キレた。『もういいです。帰ってください。』と静かに告げた。ケアマネさんは自分の何が悪いのかわからなかっただろう。

薬害で38歳の時に寝たきりになったが、本当に明るい母だった。我が家はいつも笑いであふれていた。そんな母の人生を、42年介護してきた父の毎日を、悲しいながらも穏やかな最期だったことに慰めを見い出そうとしていた姉と私の気持ちを、土足で踏みにじられたような気がした。

多分過剰反応だったのだろう。ただ小心者の私はストレスも受けやすいので、傷つかないように、とまずは鎧に身を固めてしまうのかもしれない。それは父から受け継いだ気質だ。父は小心者最高峰に君臨する人だった。

#小心者
#自己チュー
#不安
#迷惑
#ウザい

2017年1月26日木曜日

早朝の病院

週末血尿が出た。昨日病院に相談に行くと、超音波検査をしましょうということ。とにかく、ここ2年ぐらいは病院に行く頻度が激増してしまった。それまでは過去10年で2度ぐらいしか行ってなかった(ちょっと大げさ?)のに、まあ色々と不具合が出てくること出てくること。

2年前に腎臓結石がありESWLという石を破砕する治療を受けているのだが、その時は日本に行く前日にNordstromのトイレで大量の血尿がありあわてた。だから、来月日本に行く前に石がまたできたのかどうか調べておかねば、と思ったのだ。

今朝6時15分の予約のために5時に起きて病院に行くが、誰もいない病院はなんだか怖い。待てど暮らせど誰も受付にこない。これはおかしいと思って確認メールを見たら、なんと予約は明日だ!しばらくは受付の前に呆然と立っていたが、だからと言って診察を今日に変えてもらえるわけでもない。


早朝6時前の病院の受付
この怖い雰囲気、感じていただけますでしょうか

仕方ない(って何が?)のでピーツに行くことにした。気になる国際ニュースを読む。トランプがメキシコ国境に壁を作ることに署名、シリアなどからの移民の入国規制、環境問題に関わる科学研究の規制、などなど暗いニュースばかりだ。とにかくアメリカの民主主義が脅かされている。メディア規制も始まり情報管理が行われるかもしれない。

トランプが当選した時は真っ暗な気持ちになったが、それでも様子を見ないと何もまだ判断できないと思っていた。だが、今は希望がどんどん失われていきつつある。そもそも移民によって作られたこの国、メキシコや中近東からの移民のアメリカ経済への貢献度はとても高い。なのに、移民を排除しようとする政策に独裁主義者の政治を感じる。強制送還されるのではないか、と恐れる彼らの気持ちを思うと怒りを感じる。

が、ふと思う。独裁者であろうと誰であろうと、今の生活を変えてくれるならその人に賭けてみたいと思うトランプ支持者の気持ちもわかるような気がする。カリフォルニア、それもシリコンバレーに住んでいると、いわゆるアメリカの敗者と呼ばれる人たちの生活と縁遠くなり、彼らの存在を無視しているのではないだろうか。いや、彼らを敗者と呼ぶメディアに違和感を持たない、こういう思考回路こそ上から目線なのかもしれない。

トランプに投票した人たちは、セレブや億万長者やメディアがトランプを批評するのを見て、金持ちに何がわかる!と怒りを感じたのではないだろうか。私たちには想像もつかない苦しみがそこにはあるのかもしれない。その苦しみを私たちはもっと理解するべきなのではなかろうか。ザワザワザワ(心の中の音)。

カプチーノを前にiPhoneでニュースを読みながら、こういうニュースがリアルタイムで入って来ることも、心の乱れる原因なのだなあ、とネットの普及がいいことなのか悪いことなのかわからなくなってくる。

だからと言ってパソコンが死んでしまうのも困るんだけど

2017年1月25日水曜日

新政権の下で

トランプ新政権になって以来、色々と不安材料が多い。長男は日本の会社で働いている。それも環境問題に取り組むグリーンアナリストなのに、地球温暖化への対策が後退してしまいそうなトランプ政権の下、仕事はなくならないのだろうか。

テックの会社で働いている次男とマリー。テックが大嫌いなトランプの政策によって、会社は存続がむずかしくなったりしないだろうか。リストラなんぞ始まったりしないのだろうか。やっと新しいマンションに引っ越して、好きな家具を一つ一つ集めて嬉々としている二人なのに(インテリア担当は次男)。

Pottery Barnで鏡を買い
Restoration Hardwareでソファを買い

同じくRestoration Hardwareでダイニングテーブルを買い
マンションの住人が捨てた椅子を5脚拾ってきて完了

ウォークインクローゼットも自分で棚をインストールして、満足気に写真を撮っているのに、このままちゃんと家賃を払い続けることはできるのか。

DIYでクローゼットの収納棚をインストール

小さいながらも機能的なマリーのクローゼット完成

長男は長男でサキ母の家に同居しているので、家中をリフォームしている。なにしろ築50年以上の家だ。屋根裏に上って電気を配線し直したり、キッチンやバスルームをリフォームしているらしい。古い照明を新しくしました、と写真が送られてきた。

家中の電気配線をし直したり、リフォームをしている長男

屋根裏に断熱材を入れるところだと言う。気管支の弱い長男がそんなことをして大丈夫なのだろうか。マスクとか日本にはいいものがあるから、今度買ってきてあげようか、とテキストメッセージを送ったらこんな写真が送られてきた。

完全防備で屋根裏の断熱材を入れる長男
かたや、次男の方は・・・

マリーに肌のケアをもっとしなさい、と言われる次男

アメリカは分断されつつある。

2017年1月16日月曜日

ポジティブなサイド

長男からテキストメッセージと写真が送られてきた。今サンフランシスコの次男のマンションで、次男、マリー、長男、サキの4人で鍋料理を食べているところ、だそうだ。長男とサキはイーストベイと呼ばれる湾の東側に住んでいて、サンフランシスコ市内に入るにはベイブリッジを渡る時間も含めて1時間以上かかる。だからそんなに頻繁にはサンフランシスコに行かない。でも、最近4人で仲良くしようと話し合ったいうことで3連休の中日の今日、次男たちのマンションに遊びに行ったらしい。

Nijiyaという日本のスーパーで材料を
買って行き、鍋を囲む彼ら

毎日テキストを送ってきてはインテリアデザインの相談をしてくる次男に比べて、長男からはほとんど連絡がない。Gチャットで長男のアカウントのライトがついていることを確認しては、元気だということがわかりホッとする毎日だ。

そんな長男だから写真を送ってきてくれるだけで本当に嬉しい。もう心にポッと灯がともるほど嬉しい。親は子供がしてくれないことよりも、してくれることを数える。それはわかっている。母も父も私がしてあげなかったことより、してあげたことだけを数えていたのだろう。

父が特別養護老人ホームに入居したのが2012年12月。ホームに入居すると3年で亡くなる、とよく聞いていたが、父はやはり3年半で亡くなってしまった。最初の2年半、私が日本にいる間は必ず毎日父を訪問した。余程体調が悪くない限り訪問した。京都に着いたらその夜ホームに行き、京都を出る日の朝ホームに行く。長いフライトで疲れていようと、それは当たり前のことだった。

ホームに入居して1年近くたった頃の父
足腰が強く、運動のためと言っていつも廊下を速足で歩いていた

ところが、最後の1年は毎日訪問しなかった。父の認知症が進んできたので、『明日また来るから』と父に言って翌日行かなくても、父は『来ない来ない』と私をひたすら待つこともなくなっていたからだ。

そして今、父を訪問しなかった日のことを悔やむ。父を訪問しても30分で疲れて帰りたくなり、父がもっといてくれと懇願しようと1時間半後には父の部屋を出たことを悔やむ。残りの22時間半父はさぞ寂しかったことだろう。悔やんでは毎日涙する。

日米をあんなに往復したのだから、父のところにも毎日会いに行ったのだから、会いに行けば1時間半も父と一緒に過ごしたのだから、とポジティブなサイドを数えようと思うのに、残りのネガティブなサイドばかりを数える。

なのに、こういうことになると能天気にポジティブに考える自分がいる。

昨日ついにスタンフォードのベーカリーでサンドイッチを買って食べるまで、
3日間グルテンフリーダイエットが続いた!

2017年1月14日土曜日

食事記録

カリフォルニアのみなさま、寒中お見舞い申し上げます。

と言いたいぐらい寒い。クリスマスによく我が家に遊びに来ていた姉なんか、寒い寒いと毛布にくるまっていた。それほど寒い。コロラドの義妹たちもこちらではヒーターを90℉(32℃)に設定したりするほど寒がる。それほど体感温度が低い。

寒いので猫たちもパソコンで暖をとる(?)

よもや自分が湯たんぽを使うようになるとは思いもしなかった。なにしろ若い時は手足が熱くてお布団から足先を出して寝るほどだったのだから。

冷え性の長男にあげた湯たんぽ
お湯を入れるのさえ面倒な長男は全く使わなかった

血流が悪くなったせいなのだろう。だから、このところの体調の悪さも考えて一昨日から小麦粉断ちをしている。小麦粉を 断つのは本当につらい。

ピーツに行っても甘いパンなしでソイラテを飲む。今まではノンファットカプチーノを飲んでいたのに、なんだかコーヒーを飲んでいる気がしない。でも、それも徐々に慣れていくのだろう。小麦粉さえ断てばいいのだからご飯は食べるし、甘いものも大丈夫。柿の種やポップコーン、チョコレートだって食べられる。

自分の食欲がいずれなくなる日が来るのだろうか、と想像できないのだがその日は確実に来る。死が近づいて来た時だ。そのことについて書きたい。

その時まではせっせと食べ続けよう、とiPhoneに『とるだけ』という食事記録を写真で残すアプリをインストールしてみた。これでよくわかった。

2時間おきに口に何かが入っている

2017年1月11日水曜日

ホームの食事

2010年に父が認知症を患っていると診断されたあと森先生に出会い、父が亡くなる直前までお世話になった。最初に森先生の診察室で長谷川式テストを受けたのが2013年の1月。その時の得点は30点満点中27点だった。

その頃から父がどう変化していったかは、ゆっくりとまとめて書きたいが、最期を病院ではなくホームで看取れたことは本当に良かったと思っている。それも枯れるように死んでいった父。点滴もせず食べることも飲むこともしなくなってからはあっという間だった。

その父のことを考えるといまだにかわいそうでたまらなくなることがある。それはホームの食事が本当にまずかったことだ。ホームの職員は本当に親切で感謝しきれないぐらいだが、食べ物のことはどうにかならなかったのだろうか、と今でも思う。薄味で健康的な食事を入居者に提供している、という自負があったのだとは思う。が、何度か味見させてもらった食事は驚くほどまずいものだった。人生の最終ステージで、どれだけ健康的に食べることが必要なのだろうか。

私は決してグルメではない。日本にいる時は600円のランチでも充分だ。おいしいものは好きだが、だからと言ってどうしても食べたいとは思わない。ヨーカドーのお弁当でも楽しめる。そんな私が父のホームの食べ物だけは本当にまずいと思ったのだ。

去年の元旦にホームで食べたおせちだけは
仕出し屋さんからのものでおいしかった

それに関して父は一切文句を言わなかった。他のことでは文句の多かった父なのに、娘たちに1円でも多くのお金を遺したいという思いは人一倍強かったので、何かを買ってほしいということだけは言わなかった。だからこそ、姉と私は淀屋橋のゴマあんぱん、伊勢丹の鰻重、出町柳ふたばのおまんじゅうや仙太郎のおはぎを買っては父のところに持って行ってあげたが、基本的に父は3年半ホームのまずい3食を来る日も来る日も食べ続けた。

これはどうにかできなかったのか、と今でも後悔する。介護食になってからはアマゾンで買ったミキサー食をホームに預けていたが、それでも満足感がどこまであったのか。

今日はそんなことをピーツで考えながら、泣き泣き甘いチョコレートチェリーバナナブレッドを食べていた。今週号のクロワッサンに出ているグルテンフリーの生活で健康になる、という記事が目に留まる。これからの人生に必要なのはこれかもしれない。今までにも何度か小麦粉の弊害については読んだことがある。が、今こそが食習慣を変えるべき時なのかもしれない。そうだ!小麦粉を断つのだ!

小麦粉さえ断てば、あとはなんでも食べ放題だ。だから、Chipotleでチキンブリードボール(チキン、トマト、レタス、ピーマン、玉ねぎ、ごはん、コーン、豆 *全て大量)をテイクアウトして帰った。


あかんかった?

2017年1月10日火曜日

父の認知症が始まった頃

友人とランチを食べながら、最近言葉が出ないこなくなったよねと言い合った。でも認知症の域にはまだ入っていないらしい。これが友人とランチを食べたことも思い出せなくなったら、それは深刻な状態らしい。

サンタナローのPluto'sでビーフサラダ$9.70なり


父が認知症を発症したのは2009年ぐらいなのだろう。実際に私が気がついたのは2010年2月だった。私が日本に母の介護のために帰国していた時、父の探し物の頻度が異常だと思い始めた。コンスタントに探し物をしている。以前からいつもどこに置いたかなあ、と何かを探していたが、この時は尋常ではない頻度だと気がついた。

東京音頭を歌いながら踊る2016年1月の父
最期まで会話はできた
意味の通じないことを一人話すこともあったが

姉は特に何も気がつかなかったということだったが、やはり数ヶ月ぶりに父に会った私にはわかった。その後初めて物忘れ外来に行ったのが3ヶ月後の5月。アルツハイマーが始まっていた。悲壮な気分になった。母が要介護5で24時間のケアが必要なのに、どうやって認知症の父を介護するのか。

などと思い出しながら写真の整理をしている。ところが2ヶ月前の11月に日本の実家で写したこの写真は一体何の意味があるのかわからない。私の部屋で撮った写真なのだが、何なのだろう。これは尋常な物忘れ域内に入っているのだろうか。

気になる
これは一体何を意味する写真?
誰か教えて!

2017年1月8日日曜日

新年の抱負

新年になると、決して遂行しないとわかっていても一応心の奥底で『今年の課題(抱負)』を決める。今年の課題はやはり『正しく食べる、正しく運動する、正しくお腹の脂肪を取る。』なんである。

なのにほぼ毎日ピーツに行き、この中から甘いパンを選んで食べる

大体が1個400カロリー以上

ついこの前までは疲れやすい、体力がない、ヘタレという不調(?)はあったが、去年から3つの障害が加わった。
  1. 後部硝子体剥離による光視症と飛蚊症がひどくなったこと。これは右目に数年前起きたが、クリスマスの日には新たに左目に起きた。
  2. 五十肩
  3. 顎関節症
これは3つとも左半身に起きたので、左側の血流が特に悪いのではないか、などと素人判断している。一番つらいのが後部硝子体剥離で、左目のど真ん中に大きなおたまじゃくしが泳いでいる感じ。両目のど真ん中(硝子体剥離の時は飛蚊症がど真ん中に起きるらしい)に異物が浮遊している。その上左目の耳側で光がピカピカする。そして視力もかすんできた。

そうか、これが年をとるということなのか。少しずつ不具合ができ始めて、そして一生それと共に生きていくことを学び続ける毎日になるんだな。そして病気自慢が始まる。

そう思うと父が過度に病気を怖れていた気持ちも少しは理解できる。なにしろちょっとの熱や不調で大げさに騒いでいた父だった。父は自分が病気になると母の介護ができなくなる、ということが一番怖いと常に言っていたのだ。

いつも不安を訴えていた父

そして若いって素晴らしいんだ、と改めて思うこの頃。

常に上昇志向

2017年1月6日金曜日

猫たち

次男たちが11月から飼い始めた猫の名前はタイタン。シェルターから引き取った先住猫アイドルが2歳のメスなので、次は同じシェルターから生後2ヶ月のオス猫を引き取った。大きな強い猫になるように、とタイタンと名付け最初の1週間は2匹の猫を別室に隔離。そのあと少しずつ顔合わせをさせ、今では仲良しになっている。

アイドルはブラウンタビー(キジトラ)
タイタンはグレータビーと分類される


アイドルもかわいいが次男とマリーにしか懐かない。タイタンは引き取って来た日から、私が猫シッターとして平日1ヶ月間サンフランシスコのマンションで世話をした。だからかわいくてたまらない。

私も猫を飼いたくて仕方なくなってしまった。できれば姉妹猫を2匹シェルターから引き取りたい。でも、猫は長生きする。20歳の時死んだとしたら私は80歳だ。喪失に耐えられるのだろうか。そうは思えない。だから躊躇している。

この写真を見るだけでかわいくて涙が出る

猫が2匹ウロウロしていたら毎日が楽しいだろう。もうこれからは日本に行くことも少なくなってくるだろうし、アメリカで猫という存在がいると癒されるだろう。

でも・・・

もう喪失感を味わいたくない。猫たちが死ぬ時には『飼うんじゃなかった。』と後悔しそうな気がする。愛情を傾ける存在をこれ以上持ちたくない。両親、特に父を半年前に失くした時のような喪失感は、もう二度と味わいたくない。

飼うんじゃなかった

2017年1月5日木曜日

試運転

シャワーを浴びながら決めた。ブログを再開しよう。

父がいなくなって半年がたった。なのに悲しみは半年前から減った気がしない。

そして私はもうすぐ還暦を迎える。自分が60歳になる日が来るなんて思ってもみなかった。なのに、60歳は目の前だ。目の前どころか、もうまつげに引っかかっている。

ブログをまた再開しても続けることができるのだろうか。わからない。新たなブログにするべき?少なくともちょっと形式や写真は変える?コメント欄も入れたいが方法がわからない。

とにかく少しだけ試運転してみようかと思う。半年前から比べると何も変わっていない。夫は同じ職場にいるし、長男は相変わらず独身だし、私はまだ日米往復している。変わったのは次男夫婦にちょっとした変化があったことだけ。

いえ、子供ができたわけじゃありませんよ。新たに子猫を迎えただけですよ。

父へのやるせない愛と後悔。母への思慕。そんな気持ちとともに猫のことも書いてみたい。

猫って多頭飼いするべきだ、とは聞いていたけど本当にその通り。

なにしろこの2匹。



仲がいい。なんつーか・・・

いつもシンクロしてる