2016年7月1日金曜日

じゅうななの合間

マリーからテキストメッセージが来た。おかーさん、少しは元気が出てきた?おばちゃんも大丈夫?

その後、とってもいいニュースがあるの、と言う。すわ、赤ちゃんか!と青ざめた。『ヒエ〜〜、やめてくれぇ〜、まだ早い!!』

ニュースは仕事のことだった。派遣社員として受付をしていた会社で、正社員としての仕事が決まったということだ。海外出張もある、モチベーションの上がる職種で幸せそうだ。

近いうちに長男もサキと結婚することだろう。サキもかわいいしそれはとても嬉しいことだ。そして家族も増えていくのだろう。おじいちゃんのことが大好きだった息子たちだが、それでも父と過ごした時間の記憶は薄れて行き、思い出すこともあまりなくなってしまうのかもしれない。が、自分たちが親になった時、子供を置いて親の介護をするために日米を往復した私の葛藤も理解するようになることだろう。

初めて母が心筋梗塞を起こした時、子供を置いて一人で日本に来るのはつらかった。それまでは息子たちと必ず一緒に来たのに。空港で別れる時小学生の次男が不憫で涙が出た。そしてそれが長い介護往復の始まりだった。

それから十数年、一体何度日本とアメリカを往復したことだろう。結婚してアメリカに行ってしまったことで親不孝をしたのではないか、という罪悪感をいつも抱えていた。だから日本に来て介護することは当然のことだと感じていた。が、それはアメリカの家族のことを放って来ているということだ。その罪悪感も半端ではなかった。

介護は先が見えない。八方塞がりと感じて追い詰められてしまうこともある。育児のように明るい将来が待っているわけではない。介護の終わりは『死』なのだ。母の介護は過酷だったと思う。それに比べると父の方は介護とは言えなかっただろう。幻覚症状があった時、ホームを抜け出そうとした父に対処する日々は本当に苦しかったが、父にとことん付き合ってあげられた、とは思う。親とは永遠に一緒にいられるわけではない。だからこそ、介護することで普通なら持てなかった濃密な時間を持つことができたのかもしれない。

勿論渦中にいる時は、ホームに行くと独特の臭いに気が重くなり、父の文句にイライラし、何年も続く父の介護はいつ終わるんだろう、と『長生きしてほしい』『長生きしてほしくない』という相反する気持ちがあった。そんな気持ちをもったことが父に申し訳なくてたまらない。もっともっといい娘であるべきだった、なんで何もしてあげられなかったのか、と悲しみは深まるばかり。時間を取り戻したくて心の中で地団駄を踏んでいる。

そんな時この歌が頭に浮かんできた。

ついに行く
道とはかねて
聞きしかど
昨日今日とは
思はざりしを

在原業平の歌だ。人間は親と別れ、そして自分が死ぬ時には子供とも別れる。そんな日が来ることはわかっていたが、こんなに早く来るとは思ってもみなかった。

そうか。自分だっていずれ死ぬのだ。そしてどこか(それは人によっては天国、空の上、虹の橋、と呼び方は違うが)で両親に再会する。その時は両親とのお別れのあと起きたことをしっかり伝えたい。いや、もう全て知っているのかもしれない。そして、私が今後悔していることなんか、なんでもないことと笑うだろう。あんなに楽しい時間を一緒に過ごしたのに、なぜ最後の数日を、最後の数分を後悔するか、と笑うだろう。そんなのは長く一緒に過ごした時間の中のほんの一瞬のことではないか。

そうだった。後悔なんてする必要はないのだ。何があっても親は決して子供を恨まないのだから。楽しかったことだけを思い出せばいい。それができるようになるまでには少し時間がかかるだろう。でも、そんな日もいつか来る。

十七時間の向こうとこちらを往復することで、得たものは大きいと信じたい。2ヶ月のアメリカと1ヶ月あまりの日本での滞在の繰り返し、どちらの家族にも限られた時間だからこそ精一杯愛を注ぎ、そして愛されていることを確認することができたような気がする。


介護から得ることのできた幸せだけを覚えておくことにしたい。