2016年6月29日水曜日

看取るということ2/3

父はシャツを脱ぎかけていて左肩が出てしまっていた。


寒そうでかわいそうだったので、誰かを呼びに行く前にシャツを着せてあげた。


ベルを鳴らしたらスタッフと看護師さんが飛んで来てくれた。




看護師さんは心電図を撮る用意をしながら、父を蘇生しようとしてくれた。


父の呼吸音が聞こえる。


「父生きているんですか!」と聞いたが看護師さんは黙ったままだ。


人工呼吸器なのか何なのか、父の喉が音を出しているだけのようだった。



父は蘇生しない。


やっぱりダメなのだろうか。


でも、私も姉もいない時に死んでしまうわけがない。


姉を家に帰らせるんじゃなかった。


父に悪いことをした。


娘どころか、スタッフも看護師さんも、誰一人父のそばにいなかったのだ。


父は最期の瞬間何を考えたのだろうか。


苦しかったのだろうか。


息を大きく吐いたのだろうか。


それとも眠るような穏やかな最期だったのだろうか。



今となっては何もわからない。

2013年の夏、父89歳
ホームでの色鉛筆教室を楽しんでいた



とにかく父に悪いことをした、という後悔ばかりで、父が死んだという実感が湧いてこない。


麻痺した頭で姉にメールを送った。


父が危ない時は電話をする約束だったが、夜中の3時半に電話が鳴るのはやはり不穏すぎる。


すぐ来るという返信があった。




看護師さんが父の蘇生を諦める姿をぼんやりと見つめた。


その時看護師さんが父の足元にあった毛布をめくった。



抑えた悲鳴は自分の喉から出たものだった。


毛布が取られた父の足を見た時、衝撃的な悲しみが襲ってきた。


やっぱり父はまだ死ぬつもりではなかったらしい。




父は足を組んでいたのだ。