父の趣味は写真だった。カメラを収集し写真を撮ることが何よりも好きで、よくカメラの埃をスポイドで取り除いたり、レンズを磨いたりしていた。
だが、父は今そういう趣味を持っていたことさえ覚えていない。ベットに横たわり、一日中壁を見ている。
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父の目からは知の光が失われつつある |
実家にある父の物は殆ど捨てたが、まだいくらかは残っている。今回の日本滞在では最終段階の整理をしている。父の物の中には写真が多い。
今まであまり興味を持って写真を見たことはなかったが、こうして一枚一枚古い写真を見ると、父にも母にも歴史があったんだなあ、と胸に迫るものがある。
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左は母の姉
真ん中が母4歳 |
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母の子供時代 |
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女学校時代の母 |
戦場に送られ、無事生還したあとも苦労の多かった父。母もそんな父と結婚して一緒に苦労を重ねた。
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父は戦争中台湾に送られた |
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駆け落ちして結婚した両親 |
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海での写真が多い
この時代のレジャーは海水浴だったのだろう |
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母は最期までとても明るい人だった |
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母が発病する少し前に姉と撮った写真 |
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薬害で発病した当時でも母は明るかった
治療にステロイドが使われて太っていた
この時点ではもう全盲で下半身付随だったが表情に屈託がない |
母を42年間介護した父に明日はもう少し優しくしてあげようかな、と思ったりする。
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先週大型ゴミとして母の車椅子を捨てたが、
これはとてもつらいことだった
(老人ホームへの寄付は断られた)
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母は私が12歳の時には寝たきりになったので、それまでの母との記憶があまりない。それでも楽しい子供時代だったことは間違いない。決して裕福ではなかったが、幸せだったのだろう。
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が、あまり賢い家族ではなかったような |