2016年3月31日木曜日

優先順位

日本での生活は忙しい。

朝一番にゴミ出し。洗濯。父を訪問。アプの世話。その上今は次男とマリーが来ている。二人で勝手にあちこち観光に行っているが、それでも次男がお腹を壊せば母は新ビオフェルミンを買いに走り、夕食はできるだけ家で食べられるように作ってあげる。

今回渋谷がお気に入りリストから
落ちてしまった

とにかく優先順位を毎日決めて動かないといけない。なにしろ彼らは日本で桜を愛でる、というのが今回の旅行の一番の目的なのだから。しかし桜にはまだ早かった。今満開なのは醍醐寺、京都御苑、木屋町の川沿いの桜だけ。

伏見城でボルトのポーズをとるマリーと
嬉しそうに写真を撮る次男
勝手にせい

だから、母は桜開花メーターを毎朝調べて何曜日が見頃、と教えてあげる。でも、彼らは予定通りには決して動かない。日々計画が二転三転する。訪日している友人カップルと大阪の海洋館なんぞに行っている。この美しい時季の京都を差し置いて海洋館?と思うが、もちろん口出しはしない。彼らには彼らの優先順位があるのだから。

口出しはしないが、今醍醐寺にいるけど次はどこがオススメ?などとテキストメッセージが来る。南禅寺、高台寺、京都御苑はもうかなり開花しているらしい、と返信する。が、1時間後には疲れたから桜はもうや〜めた、と家に帰ってくる。


これは私が一人で水曜日に行った醍醐寺

高瀬川沿い(木屋町)

まあなにはともあれ、とりあえず今日の重要度の高い順で行くと1位は、

桜(これは円山公園の夜桜)
2位は春のおいしいもの、

いつもの『京都のおいしいお店』の食事
でも、今回の春の野菜づくしはイマイチでした
そして3位(最下位)は・・・
ごめん、父

2016年3月21日月曜日

今日は久しぶりに幸せを感じる日だった。長男、長男の彼女(サキと呼ぼう)、サキ母、次男、マリー、そして夫と私とでイーストベイにあるAlamedaに飲茶を食べに行くことにした。長男とサキがそろそろ結婚を考えているようだし、2月の初めに家を出て以来会ってなかったので、皆でご飯を食べましょうと3箇所の中間地点で合流したのだ。

隣同士に座った長男と次男は久しぶりに話がはずみ、サキも今まではアルバイトだったのが、正社員としての仕事が決まったらしく表情が明るい。これで、息子たちが二人とも家庭を持つならもう母は必要ない(当然高校卒業の時点で子離れするべきでしたがね)。父が弱ってきていることが一番気になっているのだが、これからは日本に長期滞在することもできそうだ。

何かしら文句を言い募る父
が、100から7を引かせると51まで言える

東京と埼玉に親戚がいるサキだが、アメリカには他に親戚がいない。お母さんは話しやすい人で、息子たちの姑はどちらも付き合いやすい人たちなのが嬉しい。食後久しぶりに会った息子たちはもっと話したかったようで、Blue Bottle Coffeeに行こうということになった。このカフェは地域的にはupcoming neighborhoodと表現される、開発途上の少し寂しい地域にある。

左からサキ母、長男、サキ、マリー、次男

長男たちはサキの飼っている猫の話で盛り上がり、マリーがどうしても猫がほしいと言い始める。それならシェルターに行き猫を見てみよう、という話になった。マリーも次男も猫を飼うなら子猫ではなく、シェルターの成猫を助けたいとずっと言っていた。路上駐車をしていた場所に戻ると何かがおかしい。

次男の車が誰かに鍵で左側のドア2つに一直線に傷をつけられていのだ。BMWの電気自動車、それもオレンジ色、というのは高価ではないが典型的なテッキーの車というイメージがあり、こういう地域では反感を買うのだろう、という長男の分析だ。せっかく幸福感に包まれていたのに、一気に暗い気持ちになる。損害は2000ドルを超すだろう。お金のことも悔しいが、誰かがそういう悪意を持って他人の車を傷つけているところを想像するとやりきれない。

これが鍵でつけられた傷

ふと、人間万事塞翁が馬という格言が頭に浮かんだ。何か悪いことが起きても、それはいずれいいことにつながるかもしれないし、いいこと(幸せ、福)が起きてもそれはまた悪いこと(不幸、禍)につながるかもしれない、ということだ。だから安易に喜んだり悲しんだりすべきではない、という意味らしい。このことが何か福に転じると信じるしかない。

シェルターにはよりどりみどりの猫がいるが、マリーはまるで髷を結ったような模様のある猫が気に入ってしまった。とても性質のいい猫で連れて帰りたいようだったが、今週末から日本に行くのにタイミングが悪すぎる。

長男とサキはアメショ(アメリカではドメスティック
ショートヘアと呼ばれる)が気に入ったようだ

次男が私と長男にささやく。来月マリーのお誕生日なので、プレゼントに猫をあげたい。前々から猫を飼いたいという話は出ていたが、遂に実現するのか、そうでなくとも綺麗好きとは言えない二人が、猫を飼い始めたらマンションはどんな状態になるのだろう、とまた暗い気持ちになる。

いや、万事塞翁が馬だ。猫によってバリバリに破れたウィンドーシェード、砂だらけの床・・・想像するのはやめる。禍も福に転じるかもしれない。マリーは早く赤ちゃんがほしいと常々言っているが、猫を飼うことで赤ちゃんから気持ちが離れるかもしれない。マリーにはまずはキャリアをつんでほしいし、学生ローンの返済もある。猫を飼うのも悪くないように思えてきた。

それに『ヅラ日記』なんてブログが書けるかも

2016年3月11日金曜日

母が見つからなかった時

高齢者の大半が自宅で最期を迎えたいと希望するそうだ。が、実際には7割以上が病院で亡くなる 。

父の最期はどこになるのか、と思う。勿論自宅で死なせてあげたいけど、それは無理だろう。帰宅しても数分後には病気になりそうだ、不安だ、と自分からホームに帰りたがるのだから。

だとしたら、父はホームで最期を迎えたいのだろうか。選択肢はそれしかないような気がする。ただ父の場合病院にいるのが一番安心できるようだ。病気を一番恐れている父だから、当然といえば当然だろう。が、家族としては自宅が無理なら、せめて住み慣れたホームで死なせてあげたいと思う。

去年はまだ運動をする意欲があった

そして、死に目に会えるかどうか、ということをこの1週間ずっと考えた。父はもう1年もつのだろうか。このところ痩せてきて体重は41キロを切ったようだ。身長は163センチ(縮んだが)。食事もちゃんと摂らないことが増えてきた。姉が訪問しても会話が成立しない。帰る時には、寂しいから帰らないでほしい、と言う。認知症が進行するだけで、まだまだ生きることはできるのだろうか。

日本語のクラスを担当してくれないか、と今日電話がかかってきたが、とにかく今は3ヶ月のクラスを遂行できるかどうか確約できない。5月にまた話すことになったが、全く先が見えない。クラスを引き受けてもいいものかどうか。やはり父が生きている限りいつでも日本に飛べるようにしておいた方が安心だ。

勿論死に目に会えるならそれにこしたことはない。父の最期にはできればそばにいてあげたい、とは思う。でも、やはり会えなくてもそれは仕方ないだろう。繰り返しになるが、死に目に会いたいというのは父のためだけではなく、父が死んだあとの自分のためでもある。生きている間に少しでも穏やかな時間を一緒に過ごしておいてあげたい(とは思うのだが、時々それもむずかしい)。

最期の瞬間、そばにいてあげられなかったとしても、いずれはまたどこかで会えると思いたい。それは天国と呼ばれるところなのか、雲の上なのか、お花畑なのか。呼び方は色々あるだろうが、父とも母とも祖父母とも会えるのだろう。死に目とはその再会の時までのある一つの瞬間であって、それからも家族の歴史は続いていくのかもしれない。

1歳ぐらい?の私を抱いた母

2012年、母の死後1年半たった頃、父は肺炎にかかり生死をさまよった。熱で真っ赤な顔をした父を病室に残し、後ろ髪を引かれる思いで帰宅し洋服を着たまま寝た。

翌朝父は奇跡的に回復し始めた。前の晩母の夢を見たそうだ。母について行こうとしたら、母を見失ったと言う。

うざかったのね、父が

2016年3月9日水曜日

年をとってできなくなること

父の最期を考える。自分がその場にいなかったとしても『それは仕方ないことだろう、生きている間に父との時間を一緒に過ごしてあげればそれでいい』と思っていた。自分にもアメリカでの生活はあるし、もう精一杯のことをしているではないか、と無意識のうちに思っているのだろう。

山歩き仲間が撮ってくれた
今日のランチョ・サンアントニオ
このところの雨で新芽がきれいだった

が、先日届いたメールで気持ちが揺れている。『死に目に会う』という記事を読んでくださったこの方のメールには『母は誰もいない部屋で亡くなりました。時が取り戻せるなら、間に合うように日本に帰っていられたら、と思います。』と書いてあった。その方と今毎日のようにメールを出し合って、お互いの気持ちを打ち明け合っている。

すると自分でも気がついていなかったものが見えてくる。あんな父なのに、父に対する愛情は母へのものより大きい。そんな父が一人ぼっちで死んだら、と考える。今までは、自分はその場にいなくても姉がいるところで父は最期を迎える、と無意識のうちに考えていたような気がする。私も姉もいないところで父が死んだら、父がかわいそうとずっと悔やむ気持ちが残るのかもしれない。どうやってその気持ちに折り合いをつけるのだろうか。

こういう姿をずっとずっと思い出すのだろう
父のアルツハイマーはどんどん進行するばかりで、良くなることはない。もう1年も生きていないかもしれないし、あと10年生きるかもしれない。父の表情はこのところますますどんよりしてきているし、会話が成立しなくなってきた。ついこの前まで簡単にできていたことが、突然できなくなる。1年後の父は娘たちのこともわからないだろうし、父を訪問しても父の目はもう何も認識しないのかもしれない。

自分でも感じる。この前まで簡単にできたことが、年を取ると突然むずかしくなってしまう。

最近ガレージの開口部が狭まった

2016年3月7日月曜日

母の最期

2月の初めには5人家族だったのが、今は夫と二人になった。ご飯の支度が飛躍的に楽になり、エンゲル係数もかなり下がるなとほくそ笑んでいる。なにしろ夫は晩御飯がなくても文句は言わず、ご飯にキムチを載せてお茶漬けをすれば満足、という人だ。

それでも一応は夕食を作るが、作りながら毎日のように思う。母の介護が大変だった頃のことだ。年に5回のペースで日米を往復し、毎回3週間ぐらいずつ滞在した。が、2ヶ月以上滞在したこともある。心配だったのは家族の食事のことだった。あの頃家族は一体何を食べていたのだろうか。

最近の夕食はこんな感じ
ネギトロ丼、セロリの和え物、ごぼうとワカメのお味噌汁

そんなにも何度も往復したのに自分がしっかり介護をした、できるだけのことはした、という満足感は全くない。前回書いた遠距離でもできることリストなんて、最初の頃は全て姉に任せきりだった。自分がアメリカからでもできることがあるなんて思いもしなかった。

最終的に母の命を奪ったのは新米看護師さんの吸引ミスだった。脳出血のあと大きな障害が残りながらも、命に別状はありませんと太鼓判を押されていたのに、このミスで母の呼吸は停まってしまい、3日後に亡くなった。主治医から謝罪はあったが、母は戻ってこない。

が、母の最期は苦しみのない穏やかなものだった。姉はかねてから母が苦しみながら死ぬことだけが心配だったと言う。姉と私とで交代しながら付き添っていたので、二人とも母の死に目に会えたことは偶然だった。父だけが間に合わなかった。

この医療ミスさえなかったらまだまだ生きられただろうに、とその時の様子を思い出すと悔しい。そして母に悪いことをした、という申し訳ない気持ちで苦しくなる。この苦しさは一生続くだろうと思う。

母が私のことを恨んでいないことはわかっている。親は子供を決して恨まないのだから。

が、子供は親を決して恨まないとは必ずしも言えない

2016年3月5日土曜日

介護に参加する

どんなにがんばって介護しても明るい未来が待っているわけではない、ということは皆知っている。介護が終わる時は介護される者が死ぬ時であって、あ〜、良かったね〜という結末ではない。だから、介護者は精神的にも肉体的にも疲弊し追い詰められていく。

そんな時介護を直接していない家族にもできることはある。

介護されている親、そして介護者である兄弟姉妹、あるいは介護をしている親と電話などの手段を使って定期的に話すこと。
要介護、あるいは要支援などの認定を受けるためにどんなプロセスをふむのか、を調べること。
そして地域の福祉協会などに電話すること。
候補に上がったケアマネジャー(ケアマネ)と話してみること。
ケアマネが決まったら、まずは親のいる家に行ってもらって介護者と会ってもらう手はずを整える。
そのあとは、介護計画をケアマネと話す、定期的にケアマネに電話する。
長期的な展望を、介護者、ケアマネと話す。


現在父は要介護3

などなど、例えば遠距離ではあっても、できることはたくさんある。仕事が忙しくて時間がないのは兄弟も同じ条件だし、離れていても上記のことはできる。とにかくなんらかの形で参加することが一番大事だと思う。

他にもあるが、明日考えることにしよう。

今日は『死に目に会う』ということを再度考えている。昨日も今日もずっと考えた。考え過ぎて頭が痛くなった。どうも2日間サンフランシスコは小雨が降り続いているので、低気圧のせいか頭が痛い。

小雨は降り続いているが暖かい

小雨の中フェリービルまで歩いてみた

人も少ない朝のフェリービル近辺からベイブリッジを見る
そのことも明日改めて考えよう、と今日は店じまいすることにした。なぜこんなに頭が痛むのか。

アメリカのお粗末な傘の骨が頭に刺さっていたから

2016年3月4日金曜日

しがらみ

『介護離職』という言葉を目にする機会が増えた。しみじみと思う。最近ニュースを見ても、『介護』の二文字の多いこと。友人たちも突然『親の心配』という言葉を口にするようになってきた。

兵庫県に住むNさんからメッセージが来た。250キロぐらい離れている実家では、ご両親の介護を弟さんが時短でしている。弟さんから『もうこれ以上無理』というメッセージが来たこともあるらしい。

弟さんの気持ちはよくわかる。普段は日常の一部としてどうにか介護をこなしているが、やはり定期的に追い詰められるのだ。そういうメーッセジが来た時の、Nさんの気持ちもよくわかる。兄弟に介護を任せていることへの罪悪感から、こちらも次第に追い詰められた気分になってくる。Nさんも家庭と仕事があり、そう簡単には実家に帰れない。

鬼のような顔をしてぜんざいを食べる父
が、最近固形物を食べるのはむずかしくなってきた

勿論250キロの距離はカリフォルニアから京都まで、という距離とは比べ物にならないほど近い。だが、介護をする人にはそれぞれ自分の生活がある、と状況は皆同じなのだ。親の家のすぐそばに住む子供が介護に通う。遠距離介護でもないのに何を文句言うとるか!などとは思えない。近ければ近いで息抜きの場所がないと感じるかもしれないし、将来が見えないから苦しいという気持ちは介護をする人共通のものなのだ。

私自身は父が今の時点では安定しているが、これが明日になったら突然暗転するかもしれない、という不安はいつも抱えている。次男が結婚したことだし、これから家族が増えるともっとしがらみが増えるだろう。マリーの家族はすばらしい人たちで、大好きだが。特にマリー母は親友になれそうなほど明るい人だ。

できるなら子供はもう数年待ってほしいが

では介護に帰りたくても、仕事があるから、小さい子供がいるから、自分自身の健康に問題があるから、と条件が整わない人はどうすればいいのか。親のことがかわいそうと思いながらも、皆それぞれのしがらみがあるのだ。そういう不安、罪悪感、悲哀とどう折り合いをつけていくのか考えてみたい。

そうそう、家で飼い主が帰って来るのを今か今かと
待っているペットがいる人とか

2016年3月3日木曜日

死に目に会う

『父(母)の死に目に会えなかった』と悔やむ友人は多い。それは無念だろうなあと長い間かわいそうに思っていたし、自分がそうならないようにいつでも駆けつけられる準備をしておかねば、と危機感は常にあった。

55年ほど前の(?)父との写真
白黒写真だった頃のだが、多分後ろは紅葉なのだろう

今は違う。親が生きている時に会ってこそ、という気持ちが強い。死に目には会えなくてもいいと思うようになった。だから父には少しでも一緒にいる時間を作ってあげたい、と思う。なのに、実際ホームに行き父と話し始めるとイライラして、一刻も早く帰りたくなる。

これがたった2年ちょっと前の父だと思うと驚く

特に最近の父は話していても、ファーファーファーと言っているように聞こえる。何を言っているか推察するしかない。別に目新しいことを言っているのではなく、いつもの父が言いそうなことを繰り返しているだけだから想像はつくし、会話は一応成立する。だが、それに付き合うのは体力が必要だ。とにかくこのファーファーファーと話し続けている父の横に、1時間以上座っているのだ。勿論実際に要介護度の高い親の世話をしている人に比べると、介護どころか世話をしている、とも言えない。それでも父といる間、頭の中では他のことを考えている。このあと何を食べに行こうか、とかそんなことを考えたりしているのだ。

少し年取った親のことについて、ホームについて、介護について、と書きたい。どうも毎回分析や結論を出したいと思うから、なかなかブログを書き続けることができない。だから、今日からは結論どころか、あまり意味のない(いつも意味はあったのか?)エントリーが続きそうだが、頭に浮かんで来ることを書いてみたいと思うので、しばらくおつきあいお願いします。

今年のお正月にはおせち料理をおいしいおいしいと
よく食べた父だったが

『あ〜、読まなきゃ良かった、時間の無駄だった。』という憂き目に遭うかもしれませんよ。

2016年3月2日水曜日

エコバック

どうも最近将来を憂えては落ち込んでしまうので、ちょっとした幸せアイテムを数えることにした。
  1. 父がホームのスタッフにも慣れて、相談員さんからすぐ来てください、という電話がかかってこなくなった。アルツハイマーが進行していて、最近では何をしゃべっているのかとても聞き取りにくいが、それでも2年前に比べると格段の差で父は穏やかだ。
  2. サンフランシスコのマンションに行く日のが楽しい。将来次男たちが出て私と夫が入居した時の支払いに不安はあるが、今の時点でそれを考えるのはやめる。とにかくどこにでも歩いて行ける生活は、老後運転しなくていいという安心感がある。
    最近は電車の本数も増えた
  3. 一応健康でいられて、何を食べてもおいしい。食べるとすぐ太るようになった、という事実には目を瞑ろう。
    昨日マリー母と食べに行ったサンタナローのYardhouse
    キューバンサンドイッチがおいしかった

    マリー母に一緒に食べようと無理やり(?)
    誘われて食べた3種デザート盛り合わせ
  4.  次男が結婚して独立した。日々新たな心配は出てくるが、やっと子供が家を出たことは嬉しい。
  5. もうすぐ長男も結婚するらしい。彼女は仕事に対するモチベーションが低い、と彼女母に聞いた。ベイエリアで二人生活できるのだろうか、とこちらも不安材料は多いが、やはり長男にも自立の時が来ていると思うと嬉しい。
  6. 大好きな友人たちと一緒に歩いたり、おしゃべりするのは何よりも楽しい。先週なんかこんな景色を見ながら、友人Y子さんとSえさんと朝ごはんを食べた。
    友人Y子さんのご主人の会社の無料!社食
  7. サンフランシスコの街を歩くと、お店があちこちにあり楽しい。物が増えるのはつらいが、何かがほしいと思えるということは、『健康な証拠』とよく言われるではないか。

    Whole Foodsでステキなエコバックを見つけた
こうして$2.99でエコバックを買っただけでドーパミンが出るなんて、幸福そのものではないか。だから将来を憂えて落ち込んだりするのはやめよう。先のことなんかわからない。

あ、一つだけわかることもある。

このブログを読んだ姉が、エコバックを5枚
お土産に買ってきて、と言うだろうこと