2015年10月22日木曜日

父の引き出し

このところ毎朝起きると重苦しい気分になる。日本滞在が終わりに近づいてきていて、父の将来、次男の結婚式の準備、サンフランシスコに買ったコンドーの契約、と考え始めると憂鬱になる事がたくさんある。

次男の結婚式は11月の終わりにあるが、その時姉が日本から来て5日間滞在する。父がホームに入居して以来姉がこんなに長い間京都を留守にするのは初めてだ。アプも1週間預けられる。だから、長期お泊まりの練習も始めた。

時々お泊まりをする保育園
ここでアプは本当にいい笑い顔になる

最近の父は不安になって『娘を呼んでください』とスタッフに頼むこともあるようだが、私や姉が行ってもすぐその娘だとはわからない。顔をしっかり見て誰かということを認識したい、とも思わないようだ。話しているうちに懐かしい誰かだとわかり、なんとなく娘がいたなあと思い始める。そして自分に一番近しい誰かがそばにいる、という安堵感を持つ。

あまりお茶などを飲まなくなった父
このところの弱々しさは脱水症状のせい?

認知症は昔痴呆症と呼ばれていたが、だからといって父は痴呆になったわけではない。昔と同じではもちろんないが、知性は残っているのだ。以前の父と同じ話し方をし、同じ冗談を言う。

父の頭の中にはタンスがあると仮定しよう。タンスの引き出しの一番上には幼い頃の思い出、二番目の引き出しに戦争中の思い出、三番目に結婚してからの思い出、四番目に娘たちが生まれてからの思い出、五番目に母を介護していた頃の思い出を入れていたと考えてみよう。今父は上から二番目までの引き出しの中身はクリアに思い出すことができる。が、三番目より下の引き出しはかなりごちゃごちゃになっている。

だから父の父、私の祖父のことを聞くとしっかり覚えていて、父は自分の額を叩きながら『あ〜、まだバカにはなってないなあ。』と笑うのだ。

冗談を言いながら自分の額を叩く父

なのに、母の名前が思い出せず、自分の子供は何人いたかわからない。ワイワイ広場の楽しさだけは覚えていて、『何か楽しいことがあったけど、あれは何曜日かのう。』と聞く。ホームではただ食事をして排泄して、夜になると着替えをして寝るだけだ。

巨峰をつぶして持って行ってあげたら
おいしいおいしいとたくさん食べた

声も張りがなくなって、痩せて元気のない父を見ていると、脱水症状なのだろうか、と思ったりする。それともこうして少しずつ弱っていき、老衰で死ぬのだろうか。それも判断できない。だからと言って、父を1日も長く生きさせてあげることがいいことなのかどうかもわからない。ただ枯れていく父を見守るしかない。痛い思いや苦しい思いをせず、家族が最期まで会いに来てくれて、安心感を持ちながら死を迎える、というのが父の一番の幸せなのだろう。

大きな口を開けて寝る父は時々死んでいるように見える

次に日本に来るのは年末だ。もう父を家に連れて帰って一緒にお正月を迎えることはできない。来年の今頃父は言葉も忘れてベットに虚ろな目をして横たわっているだけかもしれない。そう思うと、父の部屋をあとにしてホームの階段を下りながら涙が止まらなかった。


この顔を見るまでは

2015年10月18日日曜日

賭け

この前読んだコラムにこんな一文があった。

『人生を決めるのは結婚です。』

感心した。

配偶者によって人生は変わる。価値観の似た気の合う配偶者なら一生楽しく過ごせるかもしれない。楽しく、とまでは言えなくても空気のような存在になりうるかもしれない。独身を通すならそれも良い。お一人様の気楽な人生だったかもしれないし、やはり結婚は人生の中で一番大きな意味を持つイベントなのだろう。

友人たちは夫のことを『空気じゃなくて、毒』『返品できるなら返品したかった』『リタイヤしたら私のパラダイスは終わる』と表現する。私も夫に関しては多かれ少なかれ同じような気持ちがある。毒、返品、とまではいかなくても『パラダイス云々』は同感だ。

次男の結婚も近づいてきたし、結婚については色々と考えることも多い。結婚は人生で一番大きな『賭け』なのかもしれない。

さて、今回の日本滞在ではレールパスを使いまくった。ランチは京都駅まで行く。東京ではメトロを使わずに、どこに行くにもJRを使う。そしてひたすら疲れたが、学習したしょーもないこともたくさんある。

なんども新幹線に乗ったが、富士山はあまり見えなかった

まず、京都駅編。

京都に着いて新幹線から四条通に地下鉄で行く場合、新幹線を降りたら八条東改札口から出ると地下鉄乗り場に近い。四条烏丸で降りるなら、地下鉄進行方向一番後ろに乗れば南出口、一番前なら北口に近い。当たり前か。しかし、これを知ったことで移動が楽になった。

いつも行くレストランこけこっこからの景色
先週はすばらしい晴天で、遠くまで見えた

そしてその八条東口には8月にオープンしたばかりのイノダがある。ここのコーヒーはおいしい。サンドイッチは少し高い。ケーキセットは1000円ぐらいでオススメ。

イノダのコーヒーはミルクとお砂糖が入ってくる
いらん場合はその旨伝える

京都1日地下鉄・バス乗り放題券は1200円だが、別々に買うと地下鉄が600円、バスが500円なので、合計1100円でお得。だが、同じようなカード2枚はバックの中でゴチャゴチャになる恐れあり。

地下鉄1日乗車券
デザイン、どうにかせえ!

次。新幹線編。

なるべくN700系に乗るべし。古いタイプはトイレも古い。何故か新幹線のトイレは使用後便座が上がるようになっている。女性が使う場合便座はおろさねばならない。新しいタイプの新幹線はセンサーで自動的に降ろすことができるが、古いタイプは手動のみ。つまり、自分で降ろしなはれ、なのだ。

また『ひかり』14号車なんかに乗ったら、隣の15号車のタバコの煙が臭く、京都駅から乗った場合、名古屋辺りで新鮮な空気を吸うためにホームに一度出る必要がある。

京都駅新幹線乗り場のトイレには、手を乾わかすドライヤーもペーパーもない。

外国人に以上3つの事は『ありえない〜』ことだろう。2020年までには改良すべし。

が、時々本当に気持ち良い車掌さんがいる。チケット確認の際ニコヤカに挨拶する、その笑顔がとても感じ良い。何が何でもコミュニケーション能力だなあ、と感心する。この日本人の丁寧さは外国人受けするはず。

ついでに言えば日本の観光地には英語表示がとても少ない。経済を潤わせる観光事業にもっと力を入れるべきだろう。

先週行った法然院、まだ紅葉はナシ

この法然院の雰囲気がとても良い
番外編

出町柳に有名な鯖寿司のお店がある。何と一本6000円のこのお寿司。お昼になるとこのお店の前には行列ができる。

ますがたや

小さな商店街に行列ができる

何故ならランチにはうどんセットというメニューがあり、おうどんにこの鯖寿司が二切れついて1000円だかららしい。

だが、鯖の分厚い部分に当たるか、端っこに当たるか。


それは、その日一番の大きな賭けになることだろう。

2015年10月16日金曜日

まだら

父が92歳の誕生日を迎えた。92歳の父は突然小さくなった。わいわい広場で隣に座る衣笠(仮名)さんと同じぐらいの体型だった父は、知らぬ間に衣笠さんの3分の2ぐらいになっている。



そして髪が薄くなった。つまり栄養状態が悪いのだろう。一日中不安材料を見つけては、その不安を呟いている。その呟きも聞き取りにくくなりつつある。

父の好きなヤクルトをあげても、飲み始めると嚥下に不安があるようで、吐き出そうとする。そして詰まった詰まった、と咳き込み続ける。身体を起こしてあげて自分が納得するまで、詰まっている、と訴える。自分の不安で自分の具合を悪くしてしまうのだ。


おとといの父は姉と私のことが認識できるけど、名前がわからなかった。昨日の父は私が懐かしい誰かだというのがわかるけど、やはり名前が思い出せなかった。今日の父は私の名前が思い出せなかったが、夫の名前を思い出すことができた。『あんたの婿さんは、器用で人間性が奥深いなあ。』と父特有の話し方をする。

ついこの前までは母が死んだかどうかはっきりとはわからないようで、それでも生きていないかもしれないという恐れを持って『女房殿は死んだかのう。』と聞く父だった。それが今では母の死はやっと父の脳に刻み込まれたようで、死んだかどうかは聞かなくなった。今日、父は『ワシは女房が好きで好きでたまらんかった。』と母が死んだことを前提で話すのだった。『でも早よ死んで、かわいそうになあ。』と涙を浮かべる。

なのに、私が来月次男が結婚する、と話すと「あんたもおばあちゃんになるかもしれんか。ははは。」と笑うのだ。本当に父を見ているとまだらボケという言葉がぴったりだ。



いや、実はまだらボケしているのは私かもしれない。

この写真は大事なハンコの隠し場所がわからなくならないように、撮っておいたものだ。



この暗闇は一体どこなのだろう・・・

2015年10月9日金曜日

思い出の景色

毎朝重苦しい気分で目が覚める。それは父に対する罪悪感が原因なのか。それとも、これから先の自分の人生に対する不安からか。多分両方だろう。

二つ注文した父の補聴器のモールドは一つ1万円だが、一つ分だけは福祉の補助があると補聴器センターで言われ、見積書を区役所に持って行った。この区役所は来るたびに母の死亡届を提出に行った時のやるせない気持ちが思い出されて、心臓がドキドキする。

母がよく入院した病院

父の認知症の進行は遅々としたもので、話が通じにくい日と、記憶もしっかりしている日と様々だ。去年は野菜の名前が一つも思い出せなかったのに、昨日は『ねぎ、大根、生姜、梅、レンコン、ごぼう、苺』と次々と言えた。

自分の体調に対しての不安があるのはいつものことだが、「ワシは絶対に無理はせん。」と言い続ける。その辺のポリシーは一生変わらないらしい。私を見て娘とはわかるが名前はすぐに出てこない。そもそも娘は5人いた、と言うこともある。

トロミをつけたお茶も喉に詰まる、と不安がる父

昨日は朝から忙しく、夕方父のところに行った時にはかなりの疲労を感じた。それでも今までは父を楽しませてあげよう、とノンストップで話しかけてあげたものだ。昨日はそれをやめた。難聴の父にずっと話しかけるのは体力を要する。それも父は楽しい話相手ではなく、不安を言い続け、家族がその不安をしっかり受け止めてあげないと満足しない人なのだ。

部屋のカーテンを開けると、
光が目に入ると不安がる父

声を出すと疲れるから歌もいやだという昨日は、ただただ横に座ってポツリポツリとだけ話しかけた。それでも父は「あんたが来たら楽しいなあ。」と安心するようだ。1時間半一緒に過ごして帰ることにした。父は私や姉に、もっといてほしいと懇願することがほとんどだが、昨日はすんなり帰ることができた。今度はいつ来れる?と聞く父に『明日の朝。』と嘘をつく時も悲しい気持ちになる。父は明日になったら覚えていないのだ。

帰り道、暗い思い出が呼び起こされる景色があちこちにある。幻覚症状があった頃の父がホームを逃げ出して座り込んだ縁石。その時父が『助けてください。』と入って行った交番。見るのがつらい場所はたくさんあるのだ。だから父が死んだらもう京都には住みたくないなあと思う。

この交通量の多い道の縁石に座り込んだ

父が好きだった鰻丼を見るのもつらい。鰻が高いので、父はいつも穴子丼を食べていた。ついこの間まで、父はおはぎやあんパンをおいしいおいしいと喜んで食べていたのだ。父のために淀屋橋にあるパン屋さんに、全粒粉ゴマあんパンを買いに行ったものだ。今や父に食べられる固形物はほとんどない。

もっと鰻丼を買ってあげたら良かった、と伊勢丹の地下にある鰻屋さんの横を通り過ぎるたびに胸が苦しくなる。父が死んだらここにももう絶対来ない。

なのに、父が唯一食べられるアイスクリームを買う時、
299円を惜しんで140円の抹茶カップの方にした
娘なのであった

2015年10月6日火曜日

補聴器問題

昨日東京駅のグランスタで食べ物を買っていると、ホームから電話があった。父がまた混乱しているということだ。どうもこのところ補聴器が聞こえない、とイヤホンをひっぱるようだ。去年買った耳掛け式は長く使っていない。最近使っているのはずっと安いポケット式だ。一つが壊れた時のために二つ買ってある。

これがイヤホンのついたポケット式補聴器

  1. 耳掛け式は左耳用に作った。小さな補聴器を耳に掛けて使う。が、数ヶ月前から全く使わなくなってしまった。
  2. ポケット式は箱形の補聴器をポケットに入れ、イヤホンを耳に入れて使う。これは右耳用に作った。父は耳掛け式を日中左耳に、ポケット式を夜右耳にしていたのだ。
  3. ところが、父は最近耳掛け式も右耳で使おうとするので、ちゃんと耳の穴に入らない。色々と混乱が起きているのだ。ポケット式は2つ買ったが、聞こえない、とイヤホンを引っ張る。だから断線したらしく、使えなくなった。そのため父は最近不穏になり始めている。
左用を無理に右耳に入れている


認知症が進むにつれ、この補聴器の問題は少しずつ大きくなってきている。聞こえない、と感じて不安になる。引っ張る。壊す。使えないともっと不安になるという悪循環だ。

だから、補聴器センターに持って行って調べてもらうことにした。そして左耳用に作っていた耳掛け式も、右耳で使えるように耳に入れる部分であるモールドを作り直してもらうよう注文することにした。どうも最近父は右耳しか使いたくないらしい。

これがモールド
ホームのスタッフのために耳に入れる時のための説明書を作った


朝10時から始まるワイワイ広場に父を連れて行き、その後ポケット式を2つとも補聴器センターに持っていくことにした。その間父がポケット式がない、と騒ぐのではないか、と数時間のブランクが心配だ。が、モールドは作るのに1週間かかるから、少しでも早く持って行って、注文しないといけない。去年初めてこのモールドを作った時は、父をお店に連れて行って型を取った。が、父がお店に行くことはもはや不可能だ。

補聴器センターで調べてもらうと、補聴器は断線していなかった。聞こえなくなった理由は、父の耳垢のせいだった。つまり、コルクのように耳の中を耳垢がふさいでしまっているらしい。今週中に耳鼻科に連れて行くことになりそうだ。とりあえずはポケット式と耳掛け式の両方に新しいモールドを作ってもらうことにする。父の混乱ぶりを見ると、多分近いうちに補聴器は全く使えなくなるのではないか、と思うが。

朝家を9時過ぎに出てワイワイ広場、長くいてほしいと懇願する父を見捨てるように、罪悪感と共にホームを出たのが12時。京都駅でランチを食べて、地下鉄で四条烏丸に行く。今日はお客さんがとても多い。全てが終わったのが3時。結果を姉に知らせようと携帯でメールを打ったが、どうも文字盤(ガラケー)がうねっている。おかしい。体が疲れているのか。父への罪悪感からの精神的疲れからなのか。

いつホームに行っても、父は暗い部屋でただ寝ている
ワイワイ広場に行こうと誘うと大喜びする父がかわいそうでたまらない

地下鉄ではいつも語呂合わせで考えている自分がいる。不思議だ。

地下鉄に 乗る日はなぜか 五七五

アドレナリン ぶんぶん出しとる お父ちゃん

タコライス 京都で食べる もんちゃうで
(Wカフェのタコライスはまずかった)

補聴器は なんぼ買うても あかんやろ

それにしても京都駅から補聴器センターまでは地下鉄料金が210円。往復で420円。1日乗車券は600円。どうしても1日これを買うから間違いが起きる。600円分使おうと、あちこち行き過ぎてヘトヘトになる。

今日もまた 元を取ろうと 疲れ果て

2015年10月3日土曜日

夫疲れ

今日1日寝込んだ。なにしろ夫疲れしてしまったのだ。

起き上がれないほど疲れた

アプもおいちゃん疲れしたらしい

昨日夫が成田からサンノゼに向かった途端、いや、実は成田エクスプレスに乗り込む2時間前に、東京駅でほっぽらかして京都に帰ってきた。なんつーか疲れるのなんの。(ほら、ここまででタイトル入れて疲れという言葉が5回出てきた。)

一昨日の夜泊まったお台場のホテル
東京タワーとレインボーブリッジ(?)が正面に見えた
ツインルームで13600円!


なにしろ日本人の顔をしているくせにしゃべれる日本語は臭い、やかましい、だけだ。夫の母が夫にいつも言っていた言葉しか知らないのだ。だから手がかかる。

日本で一緒に旅行する妻の写真も思い出に撮っておきたいのだろう。何かと言えばカメラを構えている。だが夫はすぐパニクる人なのだ。新幹線の写真なんか撮っているうちに、妻を見失ってしまう。入ってきた新幹線にパニクって乗ろうとしている夫を直前に呼び止める。青ざめて今にも飛び乗ろうとしている夫の表情に、ため息が出るのだった。

一日中妻の写真を撮っている
新幹線の中で

嵯峨野の竹林で

東京駅で

石神井公園で

ホームの父の部屋で

なんかうざ〜〜い。と四六時中思ってしまう。ヨレヨレのシャツにCostcoで買った15ドルのジーンズをはいた夫は、ゆりかもめに乗っていてもじっとしていない。撮りたい景色が多すぎるのだ。そのくせiPhoneのカメラショートカットが覚えられなくて(使い始めて6年)、シャッターチャンスを90%の割合で逃す。

サンノゼ空港に到着しました、と日本時間の夜中3時にテキストメッセージを送ってくる。夫が到着する時刻も頭からは完全に抜けていた。つい数時間前まで日本にいたくせにもう時差を忘れたのか!と眠さで腹が立つ。

先週ヨーロッパに飛んだ長男のことは心配で
ずっとフライトチェックをしていた

でも、数年たっていつも思うのは『あ〜、あの時夫が撮ってくれた写真がいい記念になったなあ。』ということだ。

今回の日本旅行での私が撮った唯一の夫の写真はこれ
だから、うざい夫でも許しちゃるか・・・