2015年8月31日月曜日

父の目

9月19日に日本に向けて発つ。



夫も一緒だ。



今回の滞在で父の物を徹底的に片付けたい。



その合間に夫はあちこち観光する。



レールパスも2週間のを買った。



広島の厳島神社や原爆ドーム、姫路城、越後湯沢の温泉、東京、御殿場で富士山、新しい金沢駅など訪問したいところがたくさんあるようだ。





私は夫とは少しだけ一緒に旅行するが、あとは父の世話がメインの毎日になる。



この時期というのは具合が悪くなりやすい頃で、母が亡くなったのも9月下旬だった。



最近は姉がホームに行くと父も体温の調節ができず、機嫌が悪いことが多いらしい。


一日中暗い部屋で寝る父



先週は主治医の森先生の診察があった。



以下がその時の様子。



姉:6月にかなり激しやすいころがあり、いろいろ様子をみたところ、聞こえにくいのが原因ではないかと考え、耳鼻科を受診し補聴器の調整をした。


現在は、右耳に一種類のみを使用することでおちついている(以前は昼間用と夜間用と二種類を使い分けていた)。



森先生:問題はあったけど、解決した。よかったですね。


2009年にはまだテレビの配線などを自分でしていた
これは覚えに自分で書き付けていた配線図


姉:急に機嫌が激変することがある。


さっきまで楽しそうにしていたのに、次の瞬間険しい顔になり、食事をしないとか娘を呼べとかになる。


ただ、長続きはしない。



森先生:前頭葉の問題です。


アクセルとブレーキ。


暴走しがちなアクセルと効きの悪いブレーキ。


様子をみていると自発性は失ってきている。


自分から話そうとしない。


アクセルは大分勢いを失くしている。


喜怒哀楽もアクセルなので、不快なことがあるとアクセルを踏んでしまう。


Mさん(父)は自律神経の問題があり、暑さ寒さでも過敏に反応する傾向があるので、些細な環境の変化でアクセルを踏んで暴走することがありますが、以前ほどの勢いはない。


ブレーキが効きにくくても、しばらくすると治まる。


待てばいいということになります。



姉:マッサージや体操をすれば、暴走しない状態にもっていけるのではないか。



森先生:ツールのひとつにはなるでしょう。



姉:幻覚をみているときはどうしたらよいか。



森先生:幻覚の場合は時間がかかりますが、Mさんの場合は以前のように薬が必要なほど状態がひどくない。


壁になにかいるといえば、壁に手をあてるなどして、いないことを確認して、現実に戻してあげればいい。



父がアルツハイマー病と診断されたのは2010年。



それからよくもちこたえているなあと思う。



ホームに行くと父がかわいそうという気持ちと、イライラして早く帰りたいという気持ちが毎回交錯する。



そしてホームの横の駅で電車を待つ時は、『もう少しいてあげたらよかった』といつも後悔するのだった。


2010年に亡くなった母がよく入院していた病院



思い出すだけでいつも涙が止まらなくなる場面がある。



父が3年前に肺炎にかかって入院した時のことだ。



退院はしたものの、自分一人で家に住むのが不安だから病院に戻りたい、とまた入院した父。



この時は認知症病棟に入った。



病棟のドアには鍵がかかり、職員しか開けられないようになっている。



その病院に私は毎日通った。



そして父を連れてよく一階にある売店に行ったり、病院の庭にあるベンチに座って一緒にアイスクリームを食べたものだ。



1時間ほど話したあと父を3階にある病棟に連れて帰る。



別れを告げる時、重いドアに鍵をかける職員の横で、父はじっと私の顔を見つめているのだった。



その時の父の目を忘れることは一生ないと思う。



父の目にあったのは『恨み、恐れ、不安』ではなかった。



そこにあったのは『子への愛』だったのだ。

新聞を逆さまにして読んでいた父
どんな場面にも笑いはある