2015年7月9日木曜日

共感する歌

今年の夏ほど雨が降り続く梅雨があっただろうか。

母がいつも入院していた病院
なんで父より先に死んだのか、といつも思う



父のホームでのワイワイ広場に行くことにした。



以前は日本に帰ると必ず父を連れて行ったものだが、部屋の熱気やお手伝いをすることで疲れてしまうので3月の帰国からはやめた。



自分の体調を崩すと父のところにも行けなくなるからだ。




が、そうすると父はなかなか行かないらしい。



スタッフが声をかけてくれても頑なに拒否するか、行きたい時にはスタッフが忙しい。



先週は行きたかったのに、スタッフが忙しかったらしくて行けなかった、と1週間たっているのに父は言い続ける。



こういうことは覚えているのだ。



これがまだらボケなんだなあ、と感心する。




久しぶりのワイワイで、父はドーパミンが出ているのがわかる。



もう笑顔が止まりませんという顔だ。



風船でできた大型ボールでバレーボールも楽しくて仕方ないらしい。

エクササイズをしながら歌う
しかし、父は指示に従うのがむずかしい


エクササイズは『東京音頭』に合わせてする。



父の声は大きいので、先生に皆のリーダーになって歌ってください、と言われて嬉しいようだ。



風船6つを入れたナイロン袋の巨大ボール

ホームのイチローだった父も老化したなあとつくづく思う



部屋に帰ってからも楽しかったと言い続ける。



こんなことならやっぱり毎週来てあげれば良かった、と後悔する。



一緒に1時間ほど歌うと、父はどんどん活性化しているのがわかる。



東京音頭は支那事変の時よく流行った。



日本が世界から厳しいことを問われた時代だったから、ああいう音楽が流行るのだ、と言う。



その辺は記憶も曖昧なのだろうが、父は真面目な顔をして言うので、本当かもしれない、などと思ってしまう。



千頁以上もある分厚い歌の本をめくって色々一緒に歌ってあげる。



こんな歌もあった。



こんな時代にこんな歌が流行ったのか、とびっくりする。

あったねえ、こんな歌


でもねえ。

還暦が近くなると
共感するのはこういう歌なのよねぇ