2013年7月9日火曜日

輪投げ

火曜日だ。わいわい広場の日なので、朝9時40分に父のホームに行った。朝から猛暑なので、いつもの第一交通のタクシーに迎えに来てもらう。今日はホームまで2往復タクシー。もったいないが、体力温存のためには必要経費かと思う。なにしろ夜何が起きるのかわからないのだから、疲れて動けないという状態に陥りたくない。

わいわい広場に何故毎週ついて行くかと言えば、父が毎週火曜日は暑くても寒くてもどうにか行くことで、生活にリズムを持ってほしいからだ。これがアルツハイマー患者には一番大事なこと。

広場には手作りの祇園祭鉾がある
とにかく猛暑なので半袖に着替えさせる。半袖は嫌いな父なのだが、黒っぽい真新しいシャツに着替えた父は、スタッフや広場の先生にほめられて嬉しそうだ。なにしろいつもは着古したぼろぼろの洋服を着ているのだから。お気に入りはいつまでも着て、他のものを受け入れることがむずかしいらしい。

広場での今日はメインイベントは輪投げ。とはいえ、高齢者たちの輪投げなので真ん中に置いたテーブルの上に、広告で作った輪っかを投げることができるかどうか、という簡単なもの。
今日の参加者は30人ぐらい

輪投げが終わり45分の会がお開きになった。輪っかを回収している先生を見た時ふと気がついた。この輪っかは広告でできているし、最後はちぎって握力をつけましょうという運動もするのだ。だから、いくつでもあれば助かるんだろうな、と。父に作らせればいいのではないか。そのことを提案してみた。先生は嬉しそうな顔で、それはものすごく助かります、ということ。そして父に「これを作ってくだったら助かります。ありがとうございます。」と声をかける。父は役に立てることが嬉しいのだろう。顔が明るくなる。

ところが、広告を対角線に折って筒状にしたものを指で抑えてひねり、テープで最後は輪っかにするのだが、まず父は広告を対角線に折るということをすぐ忘れる。折り方を教えて筒状にするのまでは一緒にできたが、その後それで終わりと思ってしまう。それを今度は一緒にひねる。ひねったあと輪っかにすることが覚えられない。

ものすごく険しい表情で作る父

筒状に折ったあと父は「これで終わり?」と聞く。ひねる。「これで終わり?」と繰り返す。そうか、父にはこの手順が覚えられないのか。夕べ父は言っていたのだ。第2次世界大戦で招集される前、19歳だった父は三井造船玉野で、潜水艦などの展開画法による設計図を描いていた。戦争に行かなかったらあのままエンジニアとして一生を終えただろう、と。展開画法という言葉は初めて聞いたので、そのことを詳しく聞くと、父は嬉しそうに説明する。それなのに、今は広告を筒状に作るのさえ苦労している。

夕方行くと30個ぐらいできあがっていた
やはりスタッフに手伝ってもらったらしい