2013年6月30日日曜日

父混乱する

昨日は、今回日本に来て初めて父のホームに行かなかった。激動の毎日だったが父はかなり落ち着いているように見えたので、姉に任せたのだ。姉が夕方行ったら父は新しいお医者さん、リハビリの先生、園長さんと次々に訪問があったあとだったので、少し混乱していたようだ。でも、全く普通に明るく話していたらしい。

今日は夕方4時半頃行ってみた。父が好きな鰻重を伊勢丹で買っていたので、夕食に食べさせてあげよう、と持って行ったのだ。行くとスタッフが来て、父がどうも午後のおやつの時間頃からちょっと混乱した様子だ、ということだった。午前中は普通に話していたらしい。

午後2階の佐野さんの所に行きたいが、エレベーターに乗るのは怖いので、階段を使うと言ったらしい。それは危険なので、スタッフが2人付き添って連れて行ってくれたらしい。急いで2階に行ってみるとリビングルームに座っていたが、どうも目つきがどんよりとしている。佐野さんが父に「甘えるな』と声をかけた。これは佐野さんの口癖だ。いつもは「何を言うかぁ』と笑ってすませる父が、今日は不機嫌そうに「お前に言われる筋合いはない。」と言い返している。どうも変だ。

暑い日なのに薄手の麻シャツの上にパジャマとフリースのベストを着ている。暑いでしょう、脱いだら?と言うと強く抵抗する。暑いことはない、ここの人たちが自分をだますようなことを言う、とムッとした顔をしている。とにかく不機嫌そうに色々と文句を言っているのだ。

3階に連れて帰って父の部屋に一緒に入った。すると私の顔を見て『自分の娘に見えるが、やっぱりマスクをかぶっているように見える。この前もそうやってだまされた。明日は絶対に森先生の所に行かない。行くと帰って来れない。絶対に行かない。また怖いことをされる。』というようなことを延々と口にしている。目つきもどうもどんよりしているし、普通ではない。

姉がどうして来ないのか、と不審そうな顔をする。今日はスーパーに買い物に行ったりで忙しいので来ない、と言うと電話をしてみろと言う。姉に電話をしたら、父は自分が話してみると言う。どうも何かを疑っているのだ。まるで電話では私が姉と話しているふりをしているけれど、本当は姉とではないのだろう、自分をだまそうとして誰かと打ち合わせをしているのだろう、と言わんばかりだ。

姉がしばらくして来た。それでも父はどうも不審そうな顔をしている。とにかく鰻重を食
べようか、と蓋を目の前で開けてタレをかけてあげようとしたら、タレはいらん!と強く言う。すぐかけるのをやめたが、最初に少しかかった部分をお箸で取り除く。そしてあんたらに何かあったらもうワシは生きることはできん、でもこうして疑っていることを許してほしい、と言う。



10日前の幻覚症状が出ている時とは様子が違う。幻覚を見ているというよりは、怖さ、不信感、不安が交錯している様子だ。10日前に、父を無理矢理車に載せて森先生の所に連れて行った看護師が入って来る。父が少し恐怖心をもっているようなので、廊下に出て話した。今晩もし父が以前のように飛び降りる、などと言うような状況になったらマンツーマンで一人スタッフがつきます。そして明日の朝森先生の所に連れて行くということにしましょう、ということだ。部屋の窓は全て外から鍵がかかるようにしてあります、とも言う。

明日の朝森先生の所に連れて行くというのはとてもできないだろう。そうでなくとも、森先生の所にはもう絶対行かないと言い続けているのだ。行かなくてもいい、元気が出て行きたいと思った時点で行けばいい、と何度言い諭しても同じ事を繰り返す。

とにかく父が興味のあることを色々と話しているうちに落ち着いて来た。明日は長男が東京から京都に移動する。富士山が見えるといいなあという話を父にした。そして父に富士山は東京から何分の時点で見える?と聞いた。50分と父が言うので、そうそう、それでも最近は新幹線の速度が少し増したので45分で見えるかなあ、と二人で笑い合った。父は『その話を覚えているということは、やっぱりあんたか、誰かが変装しているわけではないな』安心した、と言う。東京から京都に向かって50分の時点で富士山が見える、というのは我が家で繰り返し繰り返し、語り継がれた富士山の話題なのだ。

最初は今晩の薬は飲まない、と言い募っていた父が、そろそろ夕食を食べようか、それから薬を飲まんとな、と言う。夕食に鰻重を食べたことを忘れているのだ。こういう物忘れは初めてだ。食事をすませたあとで『まだ食べてない』と言うことは今までにはなかったことだ。薬に何が入っているかわからないからという気持ちからだろう、今日は飲まないと言っていた父がやっと飲むと言うのだから、かなり安心したのだろう。薬は安定剤と抑肝散という漢方なので、今晩ゆったりとした気分で寝るためにも飲んでほしい。

1年前父は今より足腰がしっかりしていた
父はリビングルームに行って食べる、と杖をついて部屋を出た。穏やかに食べ始めた。さっき食べたところだから、お腹いっぱいなら余り食べなくてもいいよ、と声をかけると『そういえばさっき食べたな。』と思い出した。半分でやめて薬を全部飲む。そして隣にいた101歳の入居者とスタッフを通じて会話のようなものをする。101歳の女性と89歳の父はもしかして干支が同じではないか、という会話だ。以前能を踊っていたと101歳の女性から聞いて、そうですか、足腰が強いのでそのせいですね、と言いながら和やかな顔をする。

父が落ち着いたのでスタッフにあとのことを頼んで、7時半頃ホームを出た。明日の朝は早めに行ってみようと思う。幻覚を見ているというよりも、色々な恐怖心や幻覚を思い出して、強い不安感を持っているように見える。余りの激動の毎日のあと、たくさんのイメージが押し寄せて来ていて、どうしたらいいのかわからないという状態になっているようだ。

やっと元に戻った父を見て安心していたのに、また少し混乱している父を見て、まだまだ安心はできないんだな、と思う。この前までの不安がよみがえって来た。

また、これ

2013年6月28日金曜日

歌の会

先週歌の会に参加した父は、久しぶりに歌うことができて嬉しそうだった。何人ものボランティアで毎週催されている歌の広場は、かなりしっかりと構成されたものだ。先生は色々なアイデアを盛り込んで、高齢者たちが楽しめる会に作り上げてくれている。

このホームには囲碁教室、色鉛筆教室、書道教室、ピアノコンサートなどなど毎日のようにイベントが開催されている。今の所父はわいわい広場を楽しみにして、火曜日を心待ちにしている。金曜日の歌の会にもこれから毎週行くようにしてほしい。アルツハイマー患者には何曜日には何をする、というような生活のリズムがあることが大事らしい。


父はカラオケが好きだ。父にとってカラオケのような娯楽は、最も受け入れることのできない類いのものだとずっと思っていた。ところが去年肺炎で入院するまで通っていた、京都某老人ホームでカラオケにはまってしまった父は、毎週金曜日のカラオケが楽しみだと言い始めたのだ。皆がマイクを取り合って歌うと楽しそうに語る。そして「実はワシが一番うまい。」と言うのだ。そうなのか、自分の父親の知らない一面にびっくりする。そういえば、父の声は若いと皆がびっくりする。声も顔もツヤツヤしている、とよく言われる。カラオケもさぞかし朗々と歌うのだろう。

肺炎で入院したあとは、老人保健施設を転々とした。とは言っても2軒だが。2軒目の老健では毎週火曜日歌の会があって、父はそれを何よりも楽しみにしていた。やはり自分が一番うまい、自分の歌を聴いた入居者のうち一人が感動で涙を流しながら、礼を言いに来た、ということだった。父はその時のことを思い出しては何度も涙ぐむ。

そこまで父が楽しんでいるのなら、一度は見に行ってあげるべきだろう。ある日歌の会に行ってみた。入居者が30人ぐらい集っている。先生がマイクを持って廻って行く。父の番が来て、歌い始めた。びっくりした。

父はヘタクソだったのだ。耳が遠いのでCD音楽も聴こえない。だからテンポがずれる。歌っているうちにどんどんずれが拡がって行く。そして浪々とは歌っているが、それは独りよがりな歌い方で自分に酔っているだけだった。皆が注目しているだろう、自分はこんなにうまいのだから、と思っているのが目に見える。そんな父を見て、恥ずかしいやらおかしいやら。

着物の女性の民謡は良かった
先週、歌の会のあと疲れ切った父は夕食後また幻覚を起こす薬をしっかり飲んで、その日の夜から自室に篭城したのだ。それはともかく、父のホームから夕方帰ろうとしたら、歌の会で民謡を歌った女性に玄関で会った。「ありがとうございました。本当にすばらしかったです。父も感動していました。」と挨拶した。「お父さんは楽しんでおられましたが、どんな歌がお好きなんですか。」と聞かれた。「王将や湯島の白梅が好きなようです。」と応えると、それでは来週は是非その曲も盛り込みましょう、と先生と相談してくれた。

そして今日待ちに待った歌の会があった。父は1週間楽しみにしていた。1時45分に行って始まりを待つ。父は『今日は歌がうたえる』とかなりドーパミンが出ていたようだが、結局フルート演奏で終わってしまった。何人かの人はフルートに合わせてうたっていたようだが、父にはよく聴こえなかったらしく、あっという間に終わってしまった。


高齢者なんだからもっとしっかり、これからうたいますよ、などのゆっくりとそしてはっきりした指導をしてくれないと、ついていけないよなあ、とちょっと不満な気持ちがわいてきた。が、これは子供が学校のお遊戯などで、役付けされない時に持つ親の不満と同じようなものだな、と思うとおかしくなった。


それにしても、父が湯島の白梅を調子っぱずれに歌っているのを聞かずにすんだのは、かわいそうではあったが、ホッとしたのも事実。実は。

2013年6月27日木曜日

介護認定

昨日の様子からもう父は大丈夫と感じたので、今日は朝夕2度の訪問は不必要と判断して、お昼からホームに行った。父はリビングルームに座っていた。スタッフが「ご機嫌よくしてはりますよ〜。」と声をかけてくれる。

小学校の下校時間帯だった
隣に座って、佐野さんの所に遊びに行ったかどうか聞いてみる。すると佐野さんは部屋に入ったままなので、2階に行っても会えない、どうしてそんな所に行くことができると思うんか、と不機嫌極まる顔で言う。弱々しい時はかわいそうな父だが、元気が出て来ると今度は憎たらしい瞬間も多い。

この不機嫌さはどうも来週森先生の所に行かないといけない、と憂鬱になっている所から出ているらしい。とにかく先週3度行って疲れてしまったのだ。まあ、今回病気を治してくれた森先生にお礼を言いに行ったら?と言ってみたが、一層険しい顔になる。もうあそこに行くのがどんなにしんどいか。ここの医者に診てもらうことになったんではないか、とそういうことはよく覚えているのである。

深く座れる椅子を買ったのに

むずかしい所だ。父のアルツハイマーの進行経過を熟知しているのは森先生だ。今回の事件があった時も、結局頼ったのは森先生だ。だが、本来ならホームに隔週訪問診察をしてくれる、老年内科のT先生に移行する予定だった。が、今回のことで森先生にはこれからもずっとお願いしたい、と気持ちを新たにしたところだ。でも父にはその負担が大き過ぎるらしい。

森先生からは毎回明快な回答を得ることができる。家族にとっては悩み相談の回答者とも言える。悩んで悩んでどん底の気分で森先生の診察を受けに行くと、先が見えるようになる答えをもらい、明るい未来がどうにか開けて来るのだ。しかし父の頭には森先生と聞くと、待合室で時には3時間以上待ち続けることしか浮かんで来ないのだ。先週の土曜日には初めてのT先生の診察もあった。

森先生とT先生は雰囲気が似ている。57歳の森先生は長身痩躯で知性から出たすごみを伴った魅力がある。一方52歳のT先生はお坊ちゃんがそのまま年を取ったという感じで、こちらも知性が独特な魅力をかもしだしている。その上、二人とも少し長めの髪型なので、父には区別がつかないのだろう。父は先週のT先生の診察時に何度も何度も、ここに来て下るようになったんですか、本当に良かったです、ありがとうございます、と頭を下げていた。ホッとしたのだろう。

とにかく、来週の時点で考えたらいいから、その時元気があれば森先生の所に行くことにしたら?と父に言うと納得した。が、まだ考え込んでいる様子だ。内科医はホームの医者に任せればいいが(今回のことで任せていいのか、という不安はあるが)、心療内科は森先生かT先生のどちらかを選択しないといけない。

ホームが持ち込んでくれたCDプレイヤー
父は古い歌を聴いて楽しんでいる
が、使い方がどうしても覚えられない

考えながら帰りも歩いた。暑いとはいえ、まだ30度ぐらいなので許容範囲の暑さだ。それに道中は木々が多いのでいい散歩になる。父は少しずつ認知症が進んでいる。今回のことで家族はこれからのことがかなり不安になったし、そもそも介護は先が見えないから何かが勃発する度にどん底気分に陥ってしまうのだ。


ため息をつきながら家に着いたら郵便受けに要介護認定結果通知書が入っていた。なんと父の認定は1段階軽度の方向に変化していた。それも3ヶ月の有効期間だ。



ムカつく・・・

2013年6月26日水曜日

薬剤性せん妄

森先生には姉と私の二人だけで会いに行った。父はやはり身体がだるいので、行きたくないということだった。不安感はまだある?と聞くと、そういう風に改めて聞かれると、100%ないとは言えないが、99%はないと言える。先生にも自分が治ったという様子をみてほしいが、今日はとにかくだるいので行けない、と言う。

その様子を森先生に見せるためにiPhoneで撮影した。父は自分の現在の状況、先生への信頼感、今日行けないのは疲れが蓄積されているせいだ、としゃべり始めると止まらない。

森先生について父は『絶大な信頼を寄せている。なにしろ、普通医者というのは自分が話して終わりという人が多いが、森先生はじっと自分の話を聞いておられる。そして最後に先生が話してくれることは、自分の症状をピッタリと正確に表現していて、いつもすばらしいと感心する。あんな素晴らしい先生はなかなかいない。』と今日診察に行けないことを謝罪しながら終える。

長い待ち時間を少しでも楽に過ごせるように、折りたたみのゆったり座れる椅子を買っておいたが、それでも何時間も待つことに耐えるだけの体力に自信がないようだ。昨日から不安感も猜疑心もなくなったようで、スタッフへの信頼感も取り戻したようだ。だるいのは幻覚を抑える薬のせいだろう。

日曜日に買ってあげたバック
父はこれになかなか慣れることが
できない
森先生にはビデオを10秒足らず見せたあと、今回の出来事で一番気になったことを聞いてみた。これから認知が進んで幻覚などをまた見ることがある場合、そういう入居者は特別養護老人ホームのケアの対象ではないのか。

例えば今回父の幻覚症状が進んでホームから逃げ出そうとした場合、姉の職場に何度も電話がかかって、そのたびに姉が駆けつけて父を落ち着かせた。ある日は姉がやっと時間を作って友人たちと食事をしている時に、ホームから電話が30分のうちに3回かかってきた。父が逃げ出そうとしている、すぐ来てどうにかしてくれ、という電話だった。

姉の返答は『行くのは構いません、いつでも駆けつけます、でもその状態で家族が行ったからといってどうにかなるものでしょうか、ホームのお医者さんはなんとおっしゃっていますか』だった。

それに対してのホームの返答は『お医者さんはもうどうにもできない。ホームはこれ以上ケアできない。家族が家に連れて帰るか、あるいはホームに泊まり込んでケアしてほしい。』というものだった。

この時のホームの対応には失望したし、これからまた繰り返されることへの恐怖がある。今回の間違いでホームも少しは学習してくれたと思うし、職員のトレーニングにつながっていく可能性もあるかもしれない。でも、職員が学んだことを実地に使えるようになるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。

父がバリケードを作って部屋に閉じこもり、どうやって職員の手から逃れようか、と一晩中恐怖心に苛まれながら過ごしたことは、思い出しただけでも胸がいっぱいになる。バルコニーから飛び降りて、一か八か生き延びることができるかどうかやってみよう、と考えたのだ。どちらにしろ娘たちはもうこの世にはいないのだから、死んでも悔いはないと思いながら、真っ暗な部屋で一晩中過ごしたのだ。もうすぐ90歳になる老人がだ。こんなことは、父にも他の入居者にも二度と起きてはいけないことだ。

この夜のことは自分で書いたブログを読み返すこともできない。余りにも苦しい気持ちがよみがえって来るからだ。また幻覚症状が起きた場合どうすればいいのか。そのためには認知症のケアがもっと得意な施設に入所するべきなのか。

父の部屋から外を見る
父はこのバルコニーから飛び降りて逃げようとした

森先生の答えは『今後認知機能が落ちていっても、必ずしも幻覚が出るというものではありません。それは別のものです。幻覚が出たとしたら、その時は治療をする、ということでいいんじゃないですか。』だった。そうか、今回幻覚症状があったからと言って、父が幻覚を見やすいタイプだとは限らないのだ。それは全く別ものだそうだ。

先生はホームに、手紙を書いてくれた。その手紙は『今回のエピソードは薬剤性せん妄状態であった可能性が高い。今後のこともあるから原因を確定しておきましょう。ホームで処方された二つの薬の投与された時期と、状態の異変に気づいた時の二点について検証した結果を知らせてほしい』というものだった。

このような正式な手紙を読めば、ホームもこれからのケアの改善につなげていこうとしてくれるかもしれない。特に今回のミスは、『森先生にホームで処方されている薬のリストを連絡してくだい』という姉からの2度にわたる要請を無視し、そのことが重大な事故につながる可能性をもたらした、ということだった。それを今一度確認して、これからのケア見直しにつながるかもしれない。

次にしないといけないことは、4月から起きている父の妄想知覚も薬剤性のものかどうかを見極めることだ。勿論ホームを弾劾するためではない。かゆみ止めの薬はホーム入所後、一つ処方されている。今回のせん妄状態の原因となった薬とは別のものだ。妄想知覚と薬の関連性を調べることで、父のこれからのホームでの生活が少しでも楽になるようにしてあげたい。そして、ホームがケアの仕方や緊急の時いかに対応するべきか、ということをもっと学んで、高齢者がより安心して生活できる態勢を作るためだ。


夕方になると児童館に子供たちが続々と入って来る

2013年6月25日火曜日

玉入れ

昨日の父の様子では、水曜日の森先生の診察に連れて行くのは無理かもしれない。だから行けない時のために、ホームで血液検査だけはしておいてもらうことにした。もし父にまだ不安感があるとすると、ホームの看護師さんも信用しないかもしれない。9時に家族立ち会いの元検査をお願いします、と頼んでおいた。

8時45分に行ってみると園長さんがもう来ていて、父とリビングルームでおしゃべりをしてくれていた。園長さんが責任を感じているのがわかる。父が篭城した前日に園長さんの目の前で、父は薬のせいでせん妄状態になっているのでは?とホームの看護師さんに聞いた。元看護師だった園長さんはその時ピンと来たと翌日姉に言ったそうだ。その時ただちに薬の服用をやめるよう指示を出していてくれれば、あの晩の嵐のような数時間はなかっただろうに。



父はにこやかに話しているが、どうも余り元気がないようにも見える。そのうちホームの看護師さんが来て血液検査をしてくれた。父は「恐れ入ります。」とていねいにお礼を言っている。血液検査のために自ら空腹でいたい、と朝食は待ってもらっていたそうだ。食事を終えて、次は歯医者さんの診察を待つ。

毎週火曜日は10時からわいわい広場という集まりがあるのだが、これは父の一番の楽しみでもある。何故なら優越感がくすぐられる集まりだからだ。誰よりも身体機能が残っていて、知識もまだまだある父は自分が集まりの中で一番、と自負している。歯医者さんも10時からなので、父は歯医者さんのあとものすごい速さでエレベーターに乗り込んだ。すぐ1階に行ってわいわいに参加したいのだ。

会場に行くと玉入れが始まる前の準備の遊びをしていた。父のテンションがどんどん上がって来たのが見える。いよいよ始まった。父の席は籠から一番遠い。玉を投げ始める父。その肩はイチロー高齢者版と言えよう。2チームに分かれているので、境界に衝立てが置いてあるのだが、父の投げる玉は衝立ての上を通り過ぎて、相手チームの頭の上をものすごいスピードで飛び抜ける。

一番手前が父。赤い玉がビュンビュンと投げられる
しかし終了後数えてみると、父のチームの籠には5個しか入っていなかった。相手チームの籠には30個入っている。父は自分のチームの5個は全て自分が投げた玉だと主張する。とにかく負けるのがいやなのだ。

父のチームの他の面々は重症入居者が多いので、父が一番元気だと判断したスタッフが父に玉を袋ごと渡す。その中には玉が30個ぐらい入っている。父は大喜び。間断なく投げ続ける。その姿はとても昨日のへとへと姿だった父と同一人物とは思えない。余りの興奮に足も床についていない。


さて、玉入れのあとは指を使って『かいぐりかいぐり』をする。両手の人差し指を互いに突きつけ合って、糸巻きのように廻す遊びだが、段々と速度を速くしましょう、と先生が言う。他の入居者たちがおっとりと皆ニコニコしながら指を廻しているのに、父はハミングバードがはばたくように超高速で動かす。まるでブンブンと音が聞こえてきそうなほど、必死で動かしている。とにかく誰よりも負けたくないのだ。そして尊敬する先生に自分を印象づけたいのだ。

最後は先生とのじゃんけん遊びだ。先生と入居者全員がじゃんけんをして、自分が何度先生に勝ったか数えてくださいね、と言われた父は真剣な顔をしている。他の入居者が「あ〜、負けた。」と笑いながら言っているのに、父だけは負けた途端にムッとして黙っている。ここまで成長していない89歳がいるだろうか。

それにしても他の入居者たちは扱いやすそうな人ばかりだ。その中で父は突出して自分勝手で、気難しそうに見える。こんな父が、集団生活の中で良好な人間関係を築いて行くのはむずかしいだろう。

11時に集まりが終わったので、父を部屋に連れて帰って午後のお風呂の準備だけをして、帰ることにした。帰るよ、と言うと「はいはい、ありがとう。気をつけて帰りなさいよ。」と明るい。夕方姉が仕事の帰りに寄る予定だが、昨日よりも父はずっと元気そうだから大丈夫だろう。

隣接したJR駅から電車に乗って帰った。暑い日だったのでこのまま歩いて家に帰るのはつらい。駅直結のイトーヨーカドーでちょっと休んで帰ることにした。京都でも田舎の部類に入るこの辺りにはしゃれたカフェなどない。スターバックス、ドトール、何もない。かろうじてコンビニはあるが。


フードコートでかき氷を食べることにした。苺ミルク。お昼時で高齢者が多い。まあ人の事を言えた義理ではないが。暗い色の洋服を着た人たちが、ラーメンやお好み焼きなどを食べている。あ〜あ、やっぱりこの辺りは京都でも田舎だなあ、と気分が暗くなりため息が出る。

し・・しかし、びっくりするようなものを発見。どうしてここに?と目が点になる。


Wi-Fiスポットの表示なのでした。

2013年6月24日月曜日

元気のない日

朝9時前にホームに行くと、父は魚のような焦点の合わない目をしてリビングのソファに座っていた。疲れ切っている。スタッフが父は一晩中起きていたと教えてくれた。朝2時間ぐらい寝たようだ、と。何故だろう。幻覚を抑える薬の副作用なのか。森先生の診察が待ちきれない。

ところが父は森先生の所に行くのがいやだ、と言う。とにかく疲れてしまった、とても90歳の老人が何度も何度も行けない、と。先週は何度も行ったのに、とよく覚えている。でも行って診察してもらわないと回復したかどうかわからないよ、と言っても頑として行かないと言う。へとへとなんだということだ。

雑炊と金時豆の朝食
父の姿を見てもそれはわかる。とても病院で3時間以上待つのは無理だろう。どうしたもんか。そこに園長さんが来る。父はまた思い出話をして、元気が出て来た。しかし園長さんがいなくなった途端、また声も出したくないというような疲れた表情をしている。

12時頃帰るよ、と声をかけると「ところであんたと姉ちゃんはどうして一緒に来んのか。」と言う。必ず別々に来る。一人二役しているのではないか、と言いたげだ。まだ猜疑心や不安感が大きいらしい。それなら今晩は二人揃って来ると言ってホームをあとにした。

電車は1時間に4本
あの状態ではまだ完全に回復したとは言えない。突然また幻覚でも見始めて、ベランダから飛び降りようとするんじゃないか、と不安になる。今晩行ってみたら幻覚症状が少し出ているのかもしれない。また夜帰る時「大丈夫なんだろうか。」と不安を感じながら帰ることになるのかなあ、と思った。

帰り道近所のスーパーに寄って父のバックを買う。父は手帳、扇子、補聴器の乾電池などを入れたバックをいつも手放さないのだが、古く小さく使い勝手が悪い。軽い素材でできたダンロップのバックを買ってあげた。1980円。

夕方6時半に行くと父は別人になっていた。晴れやかな顔で食事も完食していた。なんでも午後3時に突然霧が晴れるように頭がクリアになったそうだ。疲れも余り感じない。明後日は森先生の所に行けるかもしれない、と言う。バックを見せたら喜んですぐ詰め替えをしている。全てが何も問題のない父の姿だ。

とりあえず今晩は大丈夫かな、と帰り道また父の要望で扇子を買いに行った。2階のお友達佐野さんにあげたいんだそうだ。明日は9時までに行かないといけない。父の血液検査があるからだ。もしまた猜疑心が少しでもあるなら、注射はこわいと感じるかもしれない。だから9時の注射予定時刻までに行っておきたい。

かろうじて無人駅ではないが

毎日朝は機嫌がいいが夜は悪い、というようなはっきりと定まったパターンというものがない。だから、ホームでエレベーターを降りる時はいつも少し緊張する。また幻覚が始まってソファでバリケードを作って自分の部屋に誰も入れない、という日がまた来るかもしれない、と毎日怖い。

1階リビングから外を見ると鮮やかな紫陽花が満開だった
向こうに見えるのはJR

完全にトラウマだ。

2013年6月23日日曜日

3階か2階か

今朝もやはり、父のホームで3階に着いたエレベーターを降りる時は少し緊張した。今朝の父はうなだれているのか、それとも明るく頭を上げているのか。部屋のベットの中にいて鬱々とした顔をしているのか、それとも誰かとおしゃべりでもしているのか。

久しぶりに四条河原町に出かけようと思い、その前にホームに寄る事にした。まずは朝の父の調子を確認しておいて、安心して遊びに行くためだ。父はリビングルームに座って明
るい顔をしていた。

四条でのランチ
夏野菜トマトソースパスタ

メロンケーキ
気分がいいらしい。昨日までの世界は先細りで三角錐の底部から頂点を見ているようだったのが、今日は世界が大きく開けたと言う。森先生が幻覚があるということは、望遠鏡を反対側から見ているように感じますよ、と描写していたがそのままの世界らしい。望遠鏡の外は暗い世界で何も見えないようだ。改めてかわいそうだったなあと思う。

これから四条に出かけて来るから、夕方また来ると言うと、そうかそうか、ハッハッハと笑う。午後からは1時間ぐらい2階の佐野さんを訪ねるか、などと言っている。明るい顔だったので安心して四条に出た。

高島屋で 15分ほどウィンドーショッピング、ハーブスでパスタセットのランチ、北山でマンションのモデルルーム見学、出町ふたばで行列に並んで葛まんじゅう、水無月、豆餅と買って帰る。

赤エンドウ豆の大福が有名
北山のマンションは松ヶ崎という地下鉄の駅から徒歩12分の所にあるが、叡山電鉄の修学院駅からは3分の所にある。加茂川に面していて隣は修道院があり緑が多い立地だ。目の前に五山送り火の『法』が見える。姉が高野にマンションを買ったところだし、どうしても近所のマンションと比べてみたかった。


販売員の説明を2時間聞いたあとは疲れてしまったので帰宅する。5時頃に父のホームに行くつもりだったが、体内時計は夜中の1時なので身体が動かない。指の先まで疲れている。父の様子を見に行きたかったが、姉一人で行ってもらった。様子を知らせるメールが来るまでは心配だ。

しばらくすると姉からメールがあったが『多分大丈夫』と書いてあるだけで、状況が見えない。多分というのはどういうことなのか。心配になる。その後来たメールには父が疲れた様子が短く書かれていた。父の隣では余り携帯を使わないようにしてる。今朝とは全く違った様子で、もしかしたらまだ幻覚を見ているかもしれないし、猜疑心があるかもしれないからだ。

7時半頃帰って来た姉は、父が今朝の明るさが全くない様子で、疲れて足元もおぼつかないようだったと説明する。部屋の窓には鍵がかかっていて開けられないのか、と父が聞いたことに姉は不安感を持ったようだ。まだまだ姉も私も父がホームのバルコニーから飛び降りようとした、というトラウマから抜け出せないのだ。これはこれからもずっと抜け出せないだろう。ホームのスタッフのケア能力に完全に失望したからだ。

とはいえ、4月までいた2階のスタッフは信頼している。今回父の変貌は薬のせいではないか、とすぐに感じたのも2階のスタッフだった。何よりも父が2階のスタッフを信頼している。今いる3階はいつも疲れたような顔をしていて、暗い顔のスタッフが多い。重症患者と一日中過ごすのだから、鬱々とするのはやむおえないだろう。2階に戻れるものなら戻りたいが、個室は空きがない。

またこうして部屋を何度も移動することが父にとっていいことであるとは決して思えない。やっと慣れた所で環境が変化する。とはいえ、森先生によれば父は地理的な感覚は劣化していないので、部屋を移動することは大丈夫と言うことだ。

明日の父はどんな状態なのか。


サスペンスドラマなのである。

2013年6月22日土曜日

父復活する

朝8時前にホームに行くとまだ正面玄関は閉まっていた。守衛さんに非常口から入らせてもらう。エレベーターが3階で停まった時心臓がドキンと脈打ったのがわかった。父の部屋の前にいたスタッフが、父は今スタッフの一人に付き添われてホームの廊下を歩いている、ということ。

家を出る時イチジクがたくさん
実っているのに気がついた
父は隙を狙って逃げようとしているのだ。姉と二手に分かれて父を捜した。2階をうつむいてスタッフに腕を支えられて歩いている父を発見。にこやかに近づいて行って「2階に遊びに来たん?」と聞いた。父は険しい表情のままだ。敵が娘に変装して来た、信用できないと思っているのだ。

二人で一緒にソファに座った。父の落ち着きのない目がキョロキョロと動く。昔父がバイクで京都から東尋坊まで行った時のことを聞いた。何時間ぐらいかかった?途中でどこかに停まって食事をした?というようなこと。普通に返事はできるが、隣にいるのは娘の格好をした敵だ、だまされてはいけない、と思っているのが手に取るようにわかる。

そのうち暑いなあ、扇子がどこに行ったかなあ、あんたのハンドバックに紛れ込んでないか?とバックを調べたいと言う。何か武器を隠し持っているのではないか、と疑っているのだ。バックを調べさせる。それでも父は猜疑心でいっぱいのようだ。一緒に廊下を行ったり来たりして、ソファに座っては立ち上がりまた歩くということを1時間ぐらい繰り返した。

そのうち父は暑くなったようで、部屋に帰ろうと誘うと同意した。すんなりと部屋に入れてくれる。まずは第一関門突破。飲み物をあげても毒が入っているのかもしれない、と父は信用できないようで、いらないと言う。喉が渇くと水道に行ってコップに水を入れて飲んだ。

しかし、少し気持ちはゆるんで来たのか、朝食を食べるというので部屋に運んでもらった。夕べは殆ど何も食べてないと聞いたので、雑炊と納豆を食べ終える父を見てホッとした。薬を手の平の上に置いてあげた。食後のお皿を見たら、薬は吐き出してあった。


園長さんが入って来た。父は疑心暗鬼の表情で余り返事をしない。園長さんが部屋を出て行ったあと、お腹がいっぱいになった父はうたた寝し始めた。が、耳の悪い父がほんの小さな音で目を覚ます。隣で携帯を使ってメールなどすると、誰かと連絡を取り合っている、と父は疑うのがわかっているので、何気ないふりを装って本を読んだ。

園長さんがまた部屋をノックする。出てみると「少し廊下でお話していいですか。」と聞かれた。相談員マネージャーのSさんを伴っている。Sさんに「夕べはありがとうございました。お疲れでしょう。」と声をかけた。Sさんはいいえ、とかすかに微笑する。園長さんが本題に入る。

「お父さまは夕べバルコニーから飛び降りようとなさっていたので、今日は日曜大工のお店に工具をスタッフに買いに行かせました。でも、やはり入院なさるのが一番ではないか、と思っています。」ということだった。この時点で頭の中で何かがプツンと切れた。自分たちのミスで父をせん妄状態にした上、病院に入院させて自分たちがケアしないというのか。それでは余りにも父がかわいそうではないか。だから言った。

「森先生は父が入院して薬をやめれば治るでしょうとおっしゃいました。」園長さんはそうでしょう、とばかりにニッコリとしながらうなずいた。続けた。「ただそれをするのは簡単ですが、今回は◯◯さん(ホームの名前)にケアのまずさを振り返ってもらうために、◯◯さんに帰ってもらって学習してほしいと思っています。

1週間たっても回復していない場合は、森が入院という形で面倒を見ます、とホームにお伝えください、とおっしゃっていました。」と。ここまで言ったのは安易に入院という言葉を出して来たホームに腹が立ったからだ。一番苦しんでいるのは父なのだ。足もおぼつかなくなり、一晩中寝ることもできずバリケードを作ったのだ。部屋の中にはその残骸が散乱していた。それを自分たちでケアするのは無理だから、病院に任せましょうと言うのか。

ただ父の状態を考えると入院も仕方ないのかもしれない、と思った。このままだと脱水症状に陥るかもしれない、バルコニーから転落するかもしれない、フラフラと歩いていて転倒するかもしれない。危険はいっぱいなのだ。入院して幻覚がなくなるまで鍵のかかった所に入る方がいいのかもしれない。考えてみます、と返事をしておいた。



目が覚めた父に入院の可能性を話すと絶対いやだ、と言う。脱水症状にはならない、90歳の老人にしては誰よりも水分は摂っている、入院は必要ないと。でも父が最近バルコニーから飛び降りようとしたこと、スタッフを一切信用せず薬や目薬も全て拒否していることを話すと父はびっくりする。自分がそんなことをしたとは信じられない、と言う。15分ぐらい話しているうちに元通りの父の姿が見えて来た。

姉に電話して入院のことを言うと、父をこれ以上激変する環境の中に入れたくない。もし父がまた夕べと同じ状態になったら、ホームのスタッフが10人必要であっても、これから1週間24時間態勢で見てほしいと言うということだった。それはそうだ。薬を処方して、経過観察もなくここまで父を苦しめたあげく、もうホームでは見られません、家に連れて帰ってください、と示唆する。それは許しがたい。

一方で父はスタッフに謝罪に行った。いやあ、長い夢から目が覚めました。本当に変な夢を見ました。娘が二人とも殺された、と誰かに言われたんです。もうそれなら生きていても仕方ない。もしバルコニーから逃げようとして飛び降りて死んでしまっても、仕方ないと思ったんですわ、と高笑いをする。

ランチを食べながらその話を繰り返している。薬もちゃんと飲んだ。その後部屋に帰って来てまた同じ話を繰り返す。園長さんが入って来た。父は最敬礼をする。色々と失礼なことをしたようで本当に申し訳ないです、と言う。父としばらく談笑して部屋を出ようとする園長さんに、こんな状態ですし、父がまた環境の激変する所に入ることは良くないと思います、入院はしないということでお願いします、と返事をしておいた。

その後ホームに隔週訪問して診察してくれるお医者さんにも診察してもらう。父は普段気になっている手足の湿疹のことなどを明るく話している。お医者さんが部屋を出たあと、もう疲れたから帰るよ、とちょっと前に来た姉と一緒に父に言うと「はい。ありがとう。」としっかりと返事する。これから2階に行って佐野さんと話す、と言う父を2階に送り届けてから帰宅した。

さて、今晩父はこのまま正気を保つことができるのか、それとも昨日のようになってしまうのか。幻覚を見なくなったとしても、父はまたすぐ新たな問題を作ってくれるのだ。人間関係、身体の不安、温度の調整、スタッフへの不信感。

まだまだ苦難は続く。

父篭城する

昨日の夕方、相談員マネージャーSさんが父と話してくれたあと、父は穏やかさを取り戻した。6時前に姉がホームから帰る時、父は見送りに行くと1階に降りて来た。Sさんも一緒だ。手を振って姉を見送る父。不安を感じながらも姉は帰宅した。

一息ついて姉と二人で夕食。その後録画してあったテレビ番組を見て、リラックスした。勿論父は大丈夫だろうかという思いは消えない。長い一日だったのでそろそろ本でも読んでくつろごう、とそれぞれの部屋でベットに入った。その直後。10時過ぎていた。Sさんから姉の携帯に電話がかかる。

話し始めた姉はまず「7時半ですか。」と言う。緊迫した表情だ。父が遂に3階から飛び降りたのか、と心臓が早鐘のように打ち始める。電話を切った姉は、父が姉を見送ったあと7時半まで1階から動かなかった、その後3階に上がって夕食を少し食べたあと部屋にスタッフを一切入れなくなった、と言う。夜の薬も一切拒否してSさんも入れない。

父の部屋にはベランダに大きな掃き出し窓と、胸の高さまでの窓がある。父がベランダに出ようとしているので、スタッフがベランダ外部から鍵をかけた。廊下からスタッフが少しだけドアを開けて覗く。父は窓のそばに置いた椅子に座ったり、歩き回ったり落ち着かなく動いている。

重大なミスを犯したと責任を感じているだろうSさんが夜通し監視します、と言う。家族にすぐ来てくれとは言わないが、やはり落ち着いて家にいるわけにはいかない。姉が出かける準備をした。その間私が熱いお茶をポットに入れる。そして二人で家族のアルバムを探した。父と思い出話をして興奮をなだめようと思ったからだ。ところが今は父の物を片付けている所で、姉が引っ越しの準備のために置いている家具や箱に紛れて見つからない。

姉は翌朝9時に新しいマンションの登記に行かなければならない。まずその書類準備をしてから、ホームに泊まり込みになってもいいように、毛布や本を抱えて出た。

父の部屋に到着した姉はそっと部屋に入って、普通通り父に話しかけようと思っていた。が、姉の姿を認めたSさんは父の部屋のドアを開けて「娘さんが来てくださいました!」と大声で声をかけた。その途端父は警戒して、姉のことも姉に似せて変装したホームのスタッフだと言い部屋に入れない。


結局1時間以上ドアの外で粘ったが部屋に入れないとわかった姉は、Sさんにあとを任せて帰ることにした。Sさんはドアのすぐ外でほんの小さな動きも聞き逃さないように待機している。が、父はものすごく頭の働く人なのだ。Sさんの裏をかいて脱走する可能性は高い。侮ってはいけないのだ。帰る際姉は「父は知恵の廻る人だと言うことを覚えておいてください。明日からの監視態勢も考えてください。」と頼んで、1時頃帰って来た。

今朝は4時半から目が覚めて心配で寝られなくなった。しかし今からホームに駆けつけると、夕方までまた釘付けになる。午後1時からはホームの老年内科医との初めての顔合わせがある。今日からこの先生に森先生から引き継がれる予定だったのだ。しかし、当分森先生との付き合いは終わりそうにない。誰よりも父を理解してくれているのは森先生なのだ。

Sさんに電話して様子を聞いたが、父は一晩中寝ていないようだ。もしかしたら少しは寝たかもしれないが、部屋の中が暗く伺えない。が、音から判断するとドアの前にソファなどの家具を置いて、絶対に誰も入れないようにしているようだ。今日は頭脳戦になる。

父に勝つのはむずかしい。

2013年6月21日金曜日

森先生の診断

朝9時に父のホームに行った。父は食堂に座ってうなだれていた。でも今日は森先生の所に行く、と言っている。ホッとした。園長さんが来て認知症に関してのいい本があります、と紹介してくれた。父は満面の笑みを浮かべて園長さんと話す。昨日話してからもうホームの職員に対しての猜疑心がなくなった、と言う。すっかり安心しました、と笑う。



父が言うには、一昨日は拉致されるのではないかという恐怖から、ベランダに出て飛び降
りようと思ったようだ。それでも2割方助かるのではないか、骨折ぐらいはするだろうが、と思ったということ。また、無理矢理車に押し込まれて森先生の診察に連れて行かれた時、運転している人の腕を隣から押して車をひっくり返そうと考えたらしい。自分も怪我をするが、みすみす殺されるよりはいいと思ったと言う。それは同乗していた他のスタッフに止められたのだが。

森先生の診断はやはり先生の処方した幻覚を抑える薬と、ホームの処方した薬が相反する作用を及ぼしている、というものだった。ホームが処方した2種類の薬は両方ともかゆみ止めだが安定剤でもあり、併用すれば幻覚を起こすという副作用もある。森先生からホームには、ホームの医者が処方した薬があれば知らせてください、と言ってあったのだ。ところがホームは処方リストを知らせていなかった。


では今回のこの不安が高じている状態は、薬が原因ですか、と聞くと「その可能性は多いにあります。」ということだった。つまり往復ビンタを与えているようなものです、と。ホームが幻覚を与える可能性のある安定剤を処方し、森先生は幻覚を抑える薬を処方する。これでは父はメロメロになってしまう。では薬が体内から全て出てしまったら父は元に戻るのだろうか。



今すぐ父が入院して薬をやめれば幻覚は収まるだろうが、今回はホームが学ぶためにも、しばらくホームで様子を見ましょうということだった。そうする事でホームも自分たちがしたことがまずかった、と気づくことができる。そしてそれは次回につないで行くことになる。自分たちのケアを振り返ることができるようにした方がいいでしょう。

ここで入院して父が治った状態でホームに戻ると、そうか、こういう問題は自分たち(ホーム)が見るべき問題じゃなく、専門家に任せればいいんだ、ということになってしまう。自分たちのケアの対象ではなくなってしまう、ということは色んな意味でまずいですね。

ダラダラと耐えろということではありません。薬を切ることで父の状態が回復しないようなら、その時点で入院という形で面倒見ますと森が言っていた、とホームに伝えてください、ということだった。いつもながらの明快な答え。

ホームに帰ってランチを食べる父は本当にだるそうだった。食べ物も喉に詰まって半分しか終えられない。その時着物を来た女性が、2時から1階でふれあいコンサートがありますから、どうぞ参加してください、と声をかけてくれた。歌をうたうのが大好きな父は行きたいと言う。疲れ切っているのにそれでも行きたちのはやはり歌いたいからだ。

1階には大勢の入居者が集まっていた。父は嬉しそうに歌っている。楽器も持って拍子を取る姿にホッとする。マイクを渡されると調子はずれだが歌う。


1時間後3階の部屋に戻った頃には姉も私も疲れ切っていた。なにしろ9時からずっと父に付き添っているのだ。昨日も長時間一緒にいたのだ。もう帰ってホッとしたい。お昼ご飯も食べていない。そのことを父に言うと、父はどうしてそんな自分勝手なことが言えるか、こんなに不安に思っている親を残して帰るなんて信じられない、と言う。やはりいつもと全然違う。

しかしもう耐えられないほど身体がしんどい。ちょうど入って来たスタッフに「もう帰りたいんですけど。今朝の9時から父の世話をしていて、これ以上身体がもちません。でも父は不安を訴えています。この状態のままだとまた娘を呼べ、ということになりますね。その場合ホームから電話がかかってきて、すぐ来てくれということになるのは目に見えています。なんとかしてください。」と言った。

ここまで言ったのはホームに対して怒りがあったからだ。ホームの医者が父に安定剤を処方したこと、それも森先生からも安定剤が処方されているにもかかわらず。その上そのあとのフォローアップがなかったこと。90歳近い年寄りが安定剤など3種類も服用しているのだったら、それは注意深く観察する必要があったのは明らかなのに。

また、上にも書いたようにホームが安定剤を処方したなら、それを森先生に伝えないのは生死に関わることで、それを怠ったことの責任は重大だ。特に最初の幻覚症状が表れた時、一緒に森先生の所に行った相談員Sさんに姉は2度「ホームで処方している薬のリストを持って行ってください。」と頼んだ。にもかかわらず、Sさんはそれをしなかった上、父を無理矢理車に押し込んで医者に連れて行ってしまい、父はスタッフへの恐怖心を持つようになった。

「お願いします。なんとかしてくだい。」という私の言葉に、スタッフどうしたらいいのかわからず立ち尽くす。相談員Kさんが来た。が、Kさんも対処の仕方がわからない。父に向かって「不安な気持ちがあるんですかぁ。」と大声で聞く。頭の上方から大きな声で聞かれる父は不安感を募らせるだけだ。

その様子を見てもう無理だな、と失望した。どうしたらいいかわからないKさんは少しお待ちください、と出て行ったまま1時間以上帰ってこない。一体どうなったんだろう、と廊下を見ると他の相談員さんたちと話している。解決策がない。私はこの時点で帰った。

姉からあとで言う。相談員マネージャーSさんに昨日の園長さんの父への接し方を教えた。Sさんは同じように父に話しかけてみた。段々父の気持ちはゆるんで来たようで、少しずつ信頼感を回復したようだ。

穏やかになった所で姉が帰って来た。6時だった。Sさんには以前、何かがあると家に連れて帰ってもらう事になります、それが無理なら家族が一晩中泊まり込んで見はってください、と言われていた。家族だってどうしたらいいかわからない。こんな時は森先生の相談員にまず電話して、話し合うべきだったのだ。家族だって勿論ホームに任せっきりにしたいわけではない。皆が対処の仕方を知らない。家族、ホーム、医者と3者が助け合わないといけないのだ。

勿論ここのスタッフはとても優しい人たちばかりだ。本当に感謝している。父のようなむずかしい人によく付き合ってくれている。しかしケアの仕方をもっと学ぶ必要があるのは明らかだ。外側をケアすることはできても、内側のケアをすることができない。それは認知症のことを理解していないからだ。新しいタイプの入居者がいるのなら、試行錯誤をしながらもどうすればより良いケアができるのか、と学ぼうとする姿勢が必要なのだ。

認知症について学ぶための本のリストを今朝園長さんが持って来てくれたが、それはスタッフがまず読むべきだろう。

2013年6月20日木曜日

父は壊れたのか

今朝は10時までに父の所に行こうと早足でホームまで歩いた。歩いている間も携帯に電話がかかってくるのではないか、と気持ちがはやる。ホームに入った所で相談員のマネージャーが走りよって来る。父の様子をかいつまんで話してくれるが、結論は何なんだろう。結論はないのか。ホームにはいられない状況ですよ、と言われているような気がしてならない。

3階に上がるとスタッフが「お父さんはまだ寝てはります。朝ご飯に起こしても熟睡されていて、看護師もそれならゆっくり寝させてあげてください、という指示やったんで。」と言う。部屋に入ると父は真っ暗な部屋で熟睡している。隣でスタッフと話していると覚醒してきた。



目は朦朧としている。それでも起きて朝ご飯を食べたら?とうながすと起き上がって、こんなに遅くまで寝ることは滅多にないのに、と何度もつぶやく。自分で入れ歯を洗ったりして、一応まだ身の回りのことはできるのだな、と安心する。朝食を摂りながら話しかけるとぼんやりとではあるが、普通の受け答えもできる。

食後ベットにまた戻って思い出話をする。小学校の向かいの砂田家は私の同級生か姉の同級生か、などという話から始まり、隣の家は森下さん、その隣が池田さんという話などをして盛り上がる。良かった、記憶もしっかりしているし和やかな会話ができるとホッとした。

今日は1時に森先生の診察があるけど行けそう?と聞くと「とてもとても行く元気がない。今日は休みたい。」という返事だ。そして段々とまた朦朧とした表情になっていく。その目には活力もなく全く6週間前に見た父と違う。



そのうちつぶやき始めた。どうも自分がおかしくなっていくようで怖い。皆で凶暴なことをしようとする。夕べも車に暴力的に押し込まれて病院に行った。どうしてもそう思えて自分がおかしいのか、それとも本当に起きたことなのかわからない。それが不安になる。本当なら警察に行かないといけない。

それは幻覚。幻覚を見るのは突然暑くなったからで、そのことで森先生とまた話すために今日も行って診てもらおう、と話しても父は勿論納得しない。その間も姉に逐一報告するメールを送る。姉はどうも薬と関係あるような気がしてならない、と夕べから言う。私もずっとそう思っていた。余りにも去年の父と同じ顔だ。

実は1年前父が肺炎で入院した時生死をさまよったが、その後回復して退院したいと騒いだ時、父は精神安定剤を処方された。翌朝病院から電話がかかってきた。すぐ来てください、お父さんが家に帰ると玄関に座っておられます、あと何分で来れますか?と差し迫った声だった。

病院に駆けつけた時父は目をむいて、父を押さえつけようとする看護師さん2人を振り切りながら、「ああ、やっと来てくれたか、聞いてくれ、この人らがぐるになってワシを帰らさんようにする。ひどいでぇ。この人らは。」とアドレナリン全開という顔をして、顔には狂気が表れていた。こんな父は見た事がない。余りのショックでワナワナと震えた。

後にこれは前夜服用した精神安定剤が原因とわかって、医者からの診断書にも、処方薬によりセン妄状態に陥ったという一文があった。その時とまるで同じ様子なのだ。父の激変はこのセン妄状態の時とあまりにそっくりで、どうしても認知が進んだ状態とは思えない。

今朝相談員マネージャーと話した時に、今日の森先生の診察の時、ホームで処方された薬のリストを持って行きたいと言っておいた。それをマネージャーが部屋に持って来てくれた。その薬の名前を姉にメールで送る。姉が調べて返信してきたのは一つの薬が抗不安剤だと言うことだった。これを6月初旬から飲んでいる。これに関係があるのではないか。


今日は話しているうちにまた落ち着いて来た。1時近くになったので昼食を部屋で食べる。食べている間に父のベットを整えようとしたら茶色いシミがあるのに気がついた。スタッフに声をかけて見てもらう。スタッフはすぐシーツを交換します、と二人でてきぱきと交換してくれる。30歳前後の男性スタッフが父に「パジャマも交換しましょう。もしかしてそちらも汚れてるかもしれへんしねえ。」と優しく声をかけるが、父は拒絶する。こういうことも初めてだ。いつもの父なら「お手数かけてスミマセンねえ。」とにこやかに言うのだ。

部屋にいたくない、1階に行こうと父が言う。それなら気分転換になるかもしれない、と一緒に部屋を出た。スタッフが追いかけて来る。あちこちに行く前にパジャマを交換しましょう、と言う。それはそうだ。父にまず交換しよう、と声をかけても父はいらん、いらん、と気難しく拒絶する。スタッフはそれならいつもの目薬をさしましょう、と父に声をかけるが父はそれも激しく拒絶する。スタッフはそれでも「毎日の目薬ですよ。」と言うが父はもっと激しく拒絶する。

父お気に入りの輪ゴムかけ・・・なのか?

申し訳ありませんが夜にでももう一度試していただけませんか、と私が言うと「はい、わかりました。」とにこやかに返事がかえって来たが、スタッフもこれでは父を持て余すだろう。父はどんどん険しい表情になっていく。1階に行って二人でボーッと座ってようか、と提案すると「あんたまでぐるか。あんたが帰って来たら頼りになると思ったのに、あんたまで一味か。」と言う。

しばらく一緒に3階の廊下で座っていたが、もう身体が持たないと感じたので、父に「もうそろそろ帰るけど。夕べ帰国したばっかりで時差ぼけもあってしんどいし。」と言っても父は目が据わった表情で、「ワシを一人残して行くんか。ここで消されてしまう。怖い。」と繰り返す。普段の父は娘の体調を一番気にして、どんなことがあっても「体調が悪い」という娘には「すぐ帰りなさい。もう来なくていいから。」と言うのだ。

それでも30分かけて1階に一緒に降りた。それまでには寒いと言い始めたので、パジャマの上からズボンをはかせた。1階でも「教えてくれ。なんでワシが突然邪魔になったんか。なんでワシを消したいんか。」と言い続ける。誰も消したいなんて思っていない、長生きしてほしいと思っているよ、と穏やかに話しかけても、なんでこんなことになったか、と父は言い続けるだけだ。

これは認知症が進んだということなのか。それにしてはどうして段階的に進んだのではなく、6週間前と激変しているのだろう。

一緒に自動販売機に行って飲み物を買おうと言うと父が素直について来た。ブルガリヨーグルトドリンクがほしい、と言う。買ってソファに戻ると父はこんなのがほしかったわけではない、もっとすっきりするのがほしかった、と怒り始める。こんな父も初めてだ。これもおいしいから飲んでみたら?と言っても、アクエリアスをすぐに買いに行ってほしい、と不機嫌に言い続ける。

そのうち父はトイレに行きたい、とトイレに向かった。後ろから追いかけて行く。中から職員が出て来たのを見て父は恐怖に顔がひきつる。もう行けないとソファに戻って来て座った。トイレはいつも使っている3階のに行く?もう帰る?と聞いても絶対帰らない。どうして脅迫するのか、と言い始める。

姉に、もう対処できない、病院に連れて行こうとメールした。姉は、病院に『ちょっと遅れたけど今から連れて行ってもいいか』と問い合わせてからそちらに行く、と返信してきた。父はトイレに行きたいようで、何度もトイレに向かうが恐怖でどうしても入れない。その度にまたソファに戻って来る。

30分ぐらいそうしていたが我慢できなくなったのだろう。3階に戻ることにやっと同意した。エレベーターに一緒に乗ることにした。ところがエレベーターのドアが2階で開いた時、乗って来ようとしたスタッフを見て父が恐慌を来す。エレベーターから出ようとする。スタッフがにこやかに「すみません、一緒に3階に行かせてくださいね。」と声をかけると、父はドアを必死で閉めようとボタンを押す。父の身体にセンサーが反応して警告音が鳴る。警告音の中父はエレベーターから降りてしまった。

そこにあったソファに二人で座って話していると2階でお世話になったスタッフが通りかかった。スタッフはニコニコと父の顔を見て、「薬なんじゃないですか。いくらなんでも激変していつもと全く違いますもんねえ。」と言う。やはりそうなのか、と少し安心する。そこに姉が来た。姉が父に優しく言い聞かせようとする。それでも父は動かない。

そこに今度はホームの園長さんが通りかかった。園長さんは父に優しく話しかける。まず父が昔していた仕事のことを聞く。父は英文タイプの学校をしていたことがある。戦後すぐそんな英文タイプの学校を開こうと思われたなんてすごいですねえ。英語の映画も字幕なしで見たりしてらしたんですか、と聞く。父の顔が段々ほぐれて行く。いやあ、今は無理です、と言う。実際は今も昔も無理だが。


園長さんは佐世保出身でアメリカ兵とかもいたんですよ、と父の興味のありそうなことを話してくれる。父の表情が段々柔らかくなっていく。これなら大丈夫そうだ、と姉にあとは頼んで帰ることにした。朝10時から父に6時間付き合ってもう身体がもたないと感じたからだ。

夕方6時頃帰って来た姉は、あれから父は落ち着いて2階に行って親しかった入居者と話したり、目薬も「はいはい、お願いします。」と差してもらったりしたと言う。いつもの父だ。明日は森先生の所に診察してもらいに行く?と聞くと「そりゃ行こう。」と明るく返事したらしい。

森先生にホームで処方されている薬のリストを見せて診断をあおぐつもりだ。果たしてこれは薬のせいなのか、それとも認知が進んだのか、早く知りたい。

2013年6月19日水曜日

そして日本

やはり関空までのフライトは長い。それでも今回は前日の予約変更だったので、飛行機は満席でビジネスクラスしかない。緊急事態のためにビジネスクラスが取れるマイレージは取りおいているので、今回はそれが役に立った。


まず100人以上の団体で乗っていた子供の一人が余程嬉しかったのか、酸素マスクを引っ張りだしてしまって、出発が1時間以上遅れた。待つというのは疲れる。やっと修理が終わったが、離陸許可が降りるまで待つ。その後離陸順は9番ということで延々と待たされた。

やっと離陸。すぐ夕食が始まる。機内食も充実していて、全部食べてしまった。普段ビジネスに乗れるわけではないので、こういう時は意地汚く食べてしまうのだ。デザートのチーズとアイスクリームまで食べたらお腹はパンパン状態。朝食は食べることができなかった。






空港からはMK空港シャトルという乗り合いタクシーに乗ったが、7人で満席。これが疲れた。足を伸ばしたいが1時間半伸ばす事ができない。家に帰った時は食事する元気もなくすぐ寝た。

実はこの時姉は父に付き添って森先生に緊急で診察を受けに行っていたのだ。いや、厳密に言えば老人ホームが父の状態に対処することができなくて、急遽森先生のいる病院に父を連れて行ったのだ。父は幻覚を見るようになった。ホームの職員がぐるになって自分をだましている、脅していると言うようになったのだ。だから、職員とは一緒にエレベーターに乗ることもできない。一緒に乗ると中で殺されると思うらしい。

姉は診察のあと父をホームに連れ帰り、その後落ち着くまで一緒にいた。帰って来たのは夜10時を過ぎていた。幻覚の原因は一体何なのか。月曜日にスタッフが父を病院に連れて行った時、森先生は父に穏やかに話をした。それで父は落ち着いた。ほら、薬は飲まなくても、こうして穏やかに話しかけてあげれば落ち着くんですよ、とスタッフに説明したが、スタッフはそこまで時間をかけることはできません、と言う。

仕方なく森先生は薬を処方した。しかしその薬は効かなかった。今日、水曜日先生は仕方なく薬の量を増やした。足がふらつくようになるから、充分気をつけてください、と付け加えて。診察後ホームに9時過ぎて帰った父には夕食がなかった。8時には捨ててしまうそうだ。抵抗する父を車に載せて帰って来た姉はコンビニに行くこともできなかった。その間に父が車から逃走する危険性があったからだ。

かわいそうに。長い一日を終えた父は疲れ切っている。なのに夕食もない。姉はバナナとお菓子を父にあげた。疲れ切った父はそれだけ食べた。その夜はいつホームから電話がかかってくるかもしれない、と洋服やバックをベットの脇に準備して、ハラハラしながら寝た。



それにしても、何も食べるものがなかった父に比べて、飛行機でたっぷり苺のかかったアイスクリームまで食べた私は罪悪感を持ってしまう。

ゴメン、父

2013年6月18日火曜日

突然日本

楽しみにしていたキッチンの照明が届いた。取り付けるのに3時間かかったが、結果は・・・



実はこの照明は、この上や下のような写真を見て、いいなあと思い決めたものだ。茶色に近い黒のような色が気に入った。白いキャビネットに合いそうだ。と思ったのだ。






しかし、どうも感じが違う。キッチンの大きさの違い?いやいや、二つの照明の距離が近過ぎる?キャビネットを白くして、電化製品をステンレスに替えたら違うのか。どうも間違った方向に向かっているような気がして不安になってきた。

カウンターの大きさと釣り合っていない
カウンターは両横15㌢ずつ拡げようと計画している

取り付けが終わって、今度は裏庭の石を選びに行こうと思っていたら、姉からのメールが来た。どうも気になっていた父のことで、問題が持ち上がって大変そうだ。木曜日には仕事を休んで病院に連れて行くということ。森先生からなかなか引き継ぎがなかったので、まだホームのお医者さんの診断を受けていない。だから緊急で森先生のところに昨日行ったらしい。これでまた木曜日に仕事を休んで、父を病院に連れて行くのは余りにもかわいそうだ。

ということで、明後日日本に行く予定を早めて明日出発することにした。明日出れば水曜日に京都に着く。木曜日の午後1時の診察に間に合う。急いで荷造りをした。ちょうど6週間前に同じことをしたような。


あ、思い出した。新しい照明が何かに似ていると思っていたのだ。