2013年5月1日水曜日

要介護度認定審査

父の介護度は要介護4だ。杖をついて歩くことはできるし、食事の介助も必要ない。でも、去年肺炎にかかったあと身体が弱ってしまい、審査を受けたら要介護4になった。今日は新たな認定審査の日。審査で新たな介護度が決まる。ホームの介護部スタッフが質問票を持って来た。


まず、お誕生日はいつですか、という質問に「いやあ、大正生まれというのは覚えていますが、いつか忘れました。」と答える。「今日も友だちと誕生日が3ヶ月違いだというのがわかって、もう90歳前後だということをお互いに言い合いました。つまり90歳前後というのはわかるんですが、もうはっきりとは覚えていません。」と言う。

しかし、父の受け答えは認知を全く感じさせない。「昔のことは全部覚えていますが、最近のことは覚えられないんですわ。物忘れが激しくなりました。」と言っているが、質問をするスタッフには、父が認知症とはとても思えないだろう。父はにこやかに答える。まるでなんにも問題がない人のようだ。

スタッフが部屋を出たあと父の暑い、寒いがはじまった。まず「おかしいなあ、なんか寒いなあ。」と言う。分厚い毛布をかけてあげる。それでも寒いと言う父。お布団を上からかけても寒い。「熱いお茶をもらって来てくれ。」と言うので隣のキッチンでもらって来る。一口飲むと、熱いのでお水を入れてくれ、と言う父。


飲み終わると今度は暑い、顔が火照る、と言い始める。アイスノンを冷蔵庫から出すと、ベットに横たわったまま乾いたタオルを出してくれ、と言う。タオルで巻いてあげる。しばらくは顔を冷やす。するとまた寒い、どうも風邪をひいたような気がする、と言う。


お布団をかけてあげてアイスノンを冷蔵庫に戻す。すると今度は暑いと言う。窓を開ける。風が寒い、と言う。閉める。温度は何度か、と聞くので22度と教えると、おかしいなあ、なんでそんなに低いんかなあ、誰かが勝手に部屋に入ってエアコンにいたずらしたんか、と言い始める。

温度計を手に持ち「22.3度ある。23度ないと寒い。」とじっと見つめている。付き合っていると頭がおかしくなりそうだ。

父の部屋を出てまた今日も歩いて帰った。ホームを出るとすぐ小学校がある。その横の坂はかなり急な上り坂だ。運動しているなあ、と実感できる。

そして乃木神社の前に出る。「こんにちは。」と明るい声がかかる。見ると大橋巨泉(古いですかね)にそっくりの警備員がニコニコとしている。この巨泉さんはいつも向こうから明るく挨拶してくれる。これが嬉しい。


アメリカでは普段家から出ることもなく一日が終わってしまうが、日本では少なくとも毎日外出して、毎日誰かとコミュニケーションする。これはいいことなのだ、と考えることにしよう。