2013年4月16日火曜日

父のホーム

朝から暖かい。今朝はゴミもリサイクルも収集がない日。家を片付けたり洗濯をしたり、日本では家事にかかる時間がアメリカより長い。お昼ご飯を食べたあと泥沼の中にいるような眠気が襲って来た。これは時差ぼけ特有の眠気。

3時に目が覚めたが身体が重い。でも父が待つホームに行かないといけない。衣笠さんとのその後が気になる。父の部屋にかかっているカレンダーにも、今日の日付の下に『夕方来ます』と書いて来た。父は待っているはずだ。元気を出して出かける。ホームまでの道は両脇に緑が続く。

ホームに行かない予定にしている日、カレンダーには『来ません』と書き込んでおく。行く予定の日には『夕方来ます』と書いておく。書いておかないと父が心配して、『娘さんが来られないと心配してはります。』とスタッフから電話がかかって来る。午後早めに行く予定の時でも『夕方』と書く。予定が変わって夕方まで行けなくなった場合、また父が心配し始めるからだ。


ホームから帰る時はカレンダーの『夕方来ます』の上からラベルを貼って『来ました。5pmに帰りました。』と書いておく。父は娘がもう一度夕方来る、と思ってしまう可能性があるので、心配して電話して来ないように書いておくのだ。

4時頃着いたら父は自分の部屋でうなだれて座っていた。「今日は衣笠さんと仲良くおしゃべりした?」と聞くと、父は顔をしかめて慌てたように手を振る。そして佐野さんと衣笠さんの部屋を指差して何も言うな、と目で言う。佐野さんの部屋も今日は障子が閉まっている。

どういう状態なのかわからないが、衣笠さんと和気あいあい状態でないことは想像がつく。気分を変えるために長男と次男の仕事について話す。次男が最近転職した話をした。大学卒業後安いお給料で8ヶ月働いたあと、年収が大幅アップした仕事に転職した。次男は長男に比べて積極的で仕事もトントン拍子で決まった、という話をしたら父が言う。

長男には長男の良さがあり、次男にはまた別の良さがある。二人は別の人格でそれぞれいい所も悪い所もある、百点満点の人間などいない、と。長男もいずれは自分で満足できる仕事を始めるだろう、長い目で見てやれ、と言う。そんな時の父は思慮深くいい祖父だ。

窓の外は数分置きに奈良線電車が来る

その時向かいの部屋の佐野さんが咳き込む。父が「大丈夫かぁ?」と声をかける。佐野さんとの部屋の間には父の部屋の障子、廊下、そして佐野さんの部屋の障子がある。お互いの姿は見えない。佐野さんの「大丈夫」という声が戻って来る。この様子では父と佐野さんがいかにも仲良しで、衣笠さんはさぞ仲間入りしにくいだろうなあ、とかわいそうに思う。しかしだからといって子供ではないので、「衣笠さんにも声をかけてあげて。」とは言えない。


そのあと戦争の思い出話を聞く。父は第二次世界大戦中、門司港から出港して鹿児島の桜島を見ながら日本を出て、台湾のキールンに着いた。その頃は船で1週間から10日間かかった。父の船は大きな船で数百人全員無事着いた。父のあと到着した小さな船には最初50人乗っていたが、台湾に着いた時には2人の兵士しか残っていなかった。そんな時代だった。


父の舞台は第149独立整備隊という名前で、父はすぐに主計になった。つまり経理である。キールンの南の地域に台湾銀行本店があった。ある日その銀行に行くと左手でそろばんをはじきながら、右手でものすごい速さでチャートに数字を書き込んでいる行員がいた。世の中には天才的な人がいるものだなあ、と感心した。

ホームから小学校の横を通って乃木神社に抜ける


軍隊では横序列といい、皆横にずらっと並ぶ。それも成績順に並ぶ。成績が2番だった父は160人が横並びしている右から2番目にいつも立った。上官は人道的な人もいればひどい人もいる。父の上官はその点では50点と言える人だった。

そんな話をしていたら佐野さんが泣き始めた。父が「泣くな!」と声をかける。そして「お母さん(佐野さんの妻)は元気か?」と聞く。佐野さんは「ダンケ」と答える。

帰る時佐野さんはスタッフに車椅子に載せてもらっていた。晩ご飯だ。ではさようなら、と声をかけると「ハングリー、テイクイットイージー」返事してくれる。おもしろい人だ。

明治天皇御陵方面に向かう



御陵


1月には左側の竹やぶで野猿ファミリーを見た

家に帰り着いたのは6時。家の前には♥の形をした花びらが散っていた。