2013年4月30日火曜日

東洋医学

朝から強い雨が降っていた。四条に出かけて銀行巡りをする予定だったが、雨の中出かけるのが億劫になる。それに身体がだるい。近所で行ける銀行だけ取りあえず行って来ようと思い、長袖Tシャツにウールのセーターを着る。ところが外に出ると寒い。もう一度家に帰ってコートを着た。

まず、近所の郵便局に行くとATM前には4人が待っている。大型スーパーのMOMOにあるATMに行くことにした。しかしここはもっと行列が長かった。今日は4月30日なので、振込とか色々とATMを利用する人が多そうだ。やはり四条に行くのはやめた。

アメリカでいつも利用しているBank of AmerikaのATMは24時間利用可能、そして銀行のATMなら手数料はかからない。そもそも殆どの銀行は平日の夕方6時まで、そして土曜日は2時まで開いている。日本では仕事をしている人がいつ銀行に行けるのか不思議。

銀行巡りは明日に変更して、MOMOの本屋さんに行く。このところ気になっていた漢方に関しての本を買いたかったからだ。イラストの多い『入門東洋医学』という本を見つける。


『敵』が具体的に定められてはじめて対応が可能になる西洋医学、という見出しを見て納得する。難治性の病気は、原因不明ということが多く、西洋医学では対応のしようがない。そういう病気も東洋医学なら対応できることもある。東洋医学では病気は『気』のバランスの乱れであると考えるそうだ。

そういえば、この前根津の漢方薬局で舌診と問診による診断で『痰飲』『気滞』と言われた。この二つは血流も滞らせる。このままでは病気になるなあ、といつも感じている。もう病気に一歩踏み出している、と自分でもいつも感じていたので、この辺りでなんとか治したい。

アメリカにいる間はエネルギーもあり、体調が悪いと感じることは殆どないが、日本にいる時は体調の悪いことが多い。痰飲状態の人は湿度に弱いそうだ。身体の中の水分代謝が悪い、つまり体内の湿気が多いということになる。だから雨の日は体調が悪い。


漢方薬は19日に5日分処方され、その後23日には10日分送られて来た。その前に電話で様子を話し、少し処方が替えられた。次は5月1日に電話してその後アメリカに持って帰る分を処方してもらう予定だ。

ただ考えてみると、アメリカで医者に行った時、今服用している薬はなんですかと必ず聞かれる。そんな時漢方のことをどう説明すればいいのか。その辺りを薬剤師さんと話してみないといけない。


本を読んでいるうちに眠くなった。まるで時差ぼけしている時に沼の底に沈んだような眠りに陥る感じに似ている。昏々と寝てしまった。

深い眠りの中で電話が鳴っている。一体何の音かわからない。やっとポケットに入っている携帯が鳴っているとわかった。出てみると父のホームのスタッフからだった。「スミマセン、お父さんがどうしても娘さんと話したいとおっしゃってますので、お電話しました。」ということだった。父に代わってもらう。

父は興奮した口調で「昨日設定してくれたエアコンのボタンを押すうちにどうも壊れてしまった。ホームの人はどうしても直せない。あんたがすぐ来て直してくれんか。」ということだった。「大丈夫、ホームのスタッフに言って直してもらうから心配しなくていい。」と言っても父には全く聞こえない。「来るんか?」とだけ言う。「行きません。」と大声で言うとそれだけが聞こえたらしい。「電車に乗ったら来れるんじゃないんか。今すぐ来てくれんか。」と言い続ける。今日は具合が悪いので行かない。スタッフに話してエアコンは直してもらう、と言っても全く聞こえない。

3階に移ったのは間違いだったのか、いや、あの時点では移るしかなかった。12月8日に、以前の老人保健施設から今のホームに移った時も大変だった。毎日ホームに通ってスタッフと話した。父が慣れるまで、父の性質をわかってもらうまで、父への対処の仕方を学習してもらうまで。本当に毎日毎日神経がすり減った。家に帰る、と父がホームの玄関に座り込んだこともあった。家に帰ると不安で一人で生活できない、と言い始める。そのためにホームに入ったのに、不安が高じてくると電話をしてくる。すぐ来てくれと言う。


この父に付き合うことで病気になりそうだ。でも父は父だ。血のつながった肉親で、どんな人間性であっても愛情があるのだから仕方ない。愛情がなければただホームに任せておけばいい。そのうち認知症が進行して何人かの入居者のように、一日中ラジオに頭を載せた状態で座っているようになるだろう。それは想像しただけで胸がつぶれる姿だ。だから父がSOSを出すとホームに駆けつけることになる。

しかし自分の体調をまずどうにかしないと、父より先に死んでしまうかもしれない。そんな気分に時々陥ってしまう。

2013年4月29日月曜日

父のその後

朝、夫を京都駅に送って行った。9時16分発ののぞみに乗る。8時半に京都駅に着いたので、電車が見えるカフェでカプチーノを飲んで待つ。


今日はいいお天気なので、富士山が見える可能性が高い。何度も日本に来ていて、強羅や御殿場にまで行っても一度も見る事がなかった夫に、10時40分ぐらいになったら窓の外を見るように言って別れる。座席は富士山側だ。

その後本屋さんに行って10時に伊勢丹が開店するのを待ち、父に仙太郎の柏餅などの食べ物などを買って帰宅。この1週間は観光、姉のマンションの抽選会、父のあふれかえった物の整理、父の外泊、ホームでの引っ越しと忙しかった。さすがに疲れてしまった。家でお茶を飲みながら久しぶりにのんびりする。

とはいえ、またホームまで行かないといけない。銀閣寺に行ったあと、夕べ小型冷蔵庫を買って父の部屋に入れたのだが、そこに入れるアイスノンを持って行くのだ。それに今日は暑い。多分父は新しいスタッフや新しい部屋でどうしたらいいかわからない、という状況にいるだろう。


案の定4時頃行くと父はベットに寝転んで、部屋の電気とスイッチがわからない、と疲れた顔をしている。部屋にはまずドアを開けて入った所に天井の照明スイッチがある。その隣には父がスタッフを呼んだ時点灯するライトをスタッフが消すボタン。洗面台には専用の照明。エアコンのスイッチ。換気扇のスイッチ。そして天井の照明には紐がぶら下がっている。父は不安そうにしている。
ラベルに表記して各スイッチに貼った。スタッフが消すボタン、部屋に入った所にある天井の照明のスイッチ、換気扇は上から紙を貼って「触らないでください」と書いた。しかし、父はまだ混乱している。部屋を移動した時は毎回こうなる。スタッフへの信頼がまだ完全にできてない上、新しいシステムを覚えないといけない。そこで不安な気持ちがパニックを起こさせる可能性もある。


部屋から少し出て隣にあるリビングルームに行くように促す。一緒に行って椅子に座る。父はスタッフに「いやあ、暑いので団扇であおぐと2階では他の人にいやがられたんですよ。私は顔が火照る体質でしてね。」と不必要に高笑いをする。スタッフに慣れようとしている姿は哀れだが、こうして毎日毎日父に振り回されることにはストレスを感じる。

父が明日は少しでも新しい環境に慣れることができるのかどうか心配だが、明日はホームに行かない日にして、少し休もうと思う。

夕方やっとチェックしたメールには、夫から富士山の写真が送られて来ていた。




2013年4月27日土曜日

父の外泊

父の外泊はお正月以来。昨日、金曜日の夕方4時から今日の夕方4時まで家に1泊した。


久しぶりなので父の好きな鰻重を伊勢丹で買って来た。関西風の鰻重は柔らかく蒸してあって、父の好きな食べ物。ホームの食べ物はおいしいかどうか聞いても、父は答えない。皆が食べているからあんなものだと思う、という返事。

父はどんな食べ物でも気にしない。娘たちにお金を1円でも多く遺してやりたいと思う気持ちは本当にエラいなあ、と思う。そのためには食べ物なんか気にしないようだ。久しぶりにビールでもついであげたい。が、父は体温調節ができなので、暑い暑いと言い始めるのが目に見える。かわいそうだがやめた。


家で皆で食べる夕食に父は本当に嬉しそうにしていた。しかし、父は家にいる間中温度計を見ている。朝は7時に下の部屋から「お〜い、お〜い。」という声が聞こえて来た。父の部屋に行くと寒い、温度が16度しかない、と言う。

床暖房とエアコン暖房をつけて鴨そばを作ってあげる。半纏を着た父が嬉しそうに食べる。父がくつろいでいる間に父の溜めていたゴミを捨てに焼却炉に行く予定にしていた。帰って来ると父はまだ寒いと言う。22度ないと寒いのに21.2度しかない。どうしたらいいのか、と温度計を持ってウロウロしている。

床暖房とエアコン暖房をキツくしてみる。しばらくすると今度は暑い、顔が火照る、座っていられないと言い始める父。これは身体がおかしいのか、それとも誰にでもあることなのか、と言い続ける。誰にでもあることだから心配しなくていい、と父に言い聞かせるとその時は納得するが、すぐまたおかしい、顔が火照ると冷たいタオルで顔を冷やし始める。

2時間以上父が話すことと言えば全て「暑い、寒い。」「温度計によるとこの部屋は暑い、寒い。」というようなことばかり。温度計を手から離さない父と話すだけで、頭がおかしくなりそうだ。でもこんなことでストレスを受けないようにしよう、と聞き流す。


午後4時に父をホームに送って行った時には疲れ切ってしまった。それでも父の部屋に置く革のゆったりした椅子を運び込まないといけない。全てが終わった時にはもう夕暮れだった。明日は冷蔵庫を探しに行かないといけない。

1時間ほど近所を散歩することにした。家のすぐ近くにある桃山城辺りまで歩く。閑静な住宅が立ち並び、姉とこんな家に住みたい、などと言いながら歩く。



一日中父のことで振り回された日だった。また夕方伊勢丹に行く。11階のレストラン街にある美々卯でゆり御膳を食べる。このところ外食が続いているが、父のことで疲れがたまっている時の唯一の楽しみは食べること。ま、いいでしょう。


2013年4月25日木曜日

父の引っ越し

朝から晴天。ゴミを出して洗濯物を干したあと、庭に出してある父のゴミを片付けたりした。そして父のホームに様子を見に行く。そのあとは、広隆寺でも行こうかと思いながらいつもの道を歩いた。

ホームには11時に着いた。スタッフが今日3階に引っ越しましょうか、もうお父さんは準備万端のようですよ、と言う。2時以降ならスタッフがたくさんいるので、その頃にしましょうということ。広隆寺に行くプランは中止。父の洋服の着替えなどを手伝ったりしたあと、2時間半でできることと言えば京都駅に行ってランチを食べること、そのあと駅見物ぐらい。ということでJRで京都駅に向かった。

まずは自然食ビュッフェ。このビュッフェは野菜が多くておいしい。とはいえ、連日のビュッフェや外食で、胃は大丈夫なのだろうか。


そして駅ビルに行ってみた。もう何十回となく行った京都駅はやっぱり楽しい。古都の景観を損なうものだと批判する人もいるが、これはこれでおもしろいと思う。新しさと古さの混じった都。いいではないか。

ラーメン横町を通って空中経路を歩く。今日はスモッグのせいか五山が見えない。

これが空中経路と呼ばれる橋
空中経路はかなり長い

2時にホームに戻った。すぐ引っ越しを始める。細かいものが多いので、引き出しに詰めて家具を3階に運ぶ。全部移したところで父はお風呂に入った。その間にタンスの中の物を整理する。父が新しいタンスで混乱しないように、どういう使い方がいいか考えながらあちこち入れ替える。

父の部屋に持ち込んだ椅子が壊れていることに気がついた。スタッフに話して捨ててもらう。そしてホームにある椅子を借りることにした。明日から父は1晩家に帰るので、ホームに戻って来る時に父のお気に入りの椅子を持って来ることにする。


父がお風呂から出てきたので、持ち物の場所を一緒に確認した。しかし父は混乱している。2階から3階に忘れたものはないか、何か忘れたような気がする、ああ、一番大事なものは何か書き留めておけば良かった、と不安を言い続ける。大丈夫大丈夫、補聴器、眼鏡、腕時計さえあればあとはゆっくり確認すればいいから、と言っても同じことを繰り返す。

温度の高さ、父の神経質な声、歩き回ったあとの疲労が重なって、これ以上父の部屋にいるのが苦痛になってきた。もう帰るよ、と声をかけても「ほんの5分のことなのに、なんで一緒にいてくれないか」と父が苛つく。

窓からの景色
お寺には墓地があるのに気がついた
父には黙っておこう
こうして毎日毎日父の都合で一朝から夕方まで動かないといけないのに、と思うと怒りがふつふつとわき上がって来る。家にいる間は父の溜め込んだゴミを整理することで、来る日も来る日も終わってしまうのに。苛ついている時の父は、娘に何かしてもらうのが当たり前のようにふるまう。

しかし、ここで突き放して帰ったりすると、あとで電話がかかってくるのがわかっているので、父が落ち着くまで我慢する。自分の持ち物を確認した父はやっと落ち着いて、「はい、もう大丈夫。全部確認できた。来てくれてありがとう。今度はいつ来る?」と言う。

今日はもう家まで歩いて帰る気力も体力も残ってないので、電車で帰ることにした。電車を降りたところにある大型スーパーでアイスコーヒーを飲んで帰る。

帰り道、目の前を自転車をひいて歩く70代ぐらいの女性のサドルに何か書いてある。



すごい!おばあちゃん、エラい!

2013年4月23日火曜日

東福寺

個室への移動に関しての返事をする約束だったので、今朝は一番に父のホームに行った。すると父はむずかしい顔をしてリビングルームに座っている。個室への移動はやめる、ということ。理由を聞くと今いる2階のように、リビングルームがないから孤立してしまって不安だ、ということ。

これは父の勘違い。リビングルームは部屋のすぐそばにある。もう一度見に行こうと誘って3階に上がる。ここまで説得するのに一苦労。

個室を見た父は安心して笑い始めた。実は個室は施設の建物の外にあると何故か勘違いしていた、ああ、良かった良かった、これなら是非とも個室に移りたいと言う。


隣室の人が父の部屋から漏れる灯りを夜いやがって文句を言うから、光量を調節できるランプを持って来てほしい、と言う。どうしても今晩ほしい、ランプがなかったらどうにもならない、と文句を言い続ける。

そんな父に腹が立って帰ることにした。10時なのでわいわい広場という父の好きなイベントが始まる時刻でもあるし、取りあえずホームのマネージャーには、個室に移りたいという意向を伝えることにした。

するとマネージャーは今日でも移動できますよ、と言ってくれた。では善は急げ、とわいわい広場が終わる頃もう一度ホームに戻って、荷物を移動することにした。わいわい広場は11時までなので、1時間どこかで時間をつぶさないといけない。思いついたのが近所にある東福寺。JRに乗ればすぐ。行ってみることにした。

いやあ、東福寺ってすごいですね。毎回来るたびに改めて感動する。なにしろどの方向を見ても一幅の絵を見ているようで、写真を撮りまくってしまう。桜は散ったあとなので、全く混んでいない。もう写真を一挙に載せよう。
























東福寺を歩いている時にホームのマネージャーから電話があった。取りあえずしばらくは夜だけ個室で寝てみて、父が好きか嫌いかお試しという形にしましょう。もしいやなら、引っ越すのはやめる。もし気に入ったら明日引っ越すことも可能。あるいは夜だけ3階の個室で寝るということをしばらく続けることも可能。引っ越した場合でも、当分は現在使っている父の部屋をそのまま置いておいてくれる、ということ。

本当にこのホームのスタッフは全員が親切で、いつも入居者のことを考えてくれるのがありがたい。1時頃ホームに帰って父にそのことを説明した。父は少し混乱している。が、今晩はお泊まりということを説明して、必要なものだけを準備することにした。

父は手帳、時計、温度計などを延々と袋に詰めている。今日はこのまま2階で過ごし、寝る時は3階の個室で寝る。明日の朝は2階に降りて来て朝食をとる。日中は2階にいましょうということになった。

スタッフが父に聞く。
「今晩は夕食後すぐに3階に行きたいですか。」
父はしばらく考えている。
「それとも夜の10時頃に行きますか。」
父がきっぱり、という感じで答える。
「いえ、9時にします。自分の時間がほしいですから。」

父の新しい部屋はここになりそうだ。

2013年4月22日月曜日

下鴨神社周辺

東京では随分寒い思いをしたが、今日の京都は暖かい。それでも木陰ではダウンジャケットを着た。毎日寒暖の差が激しい。


姉が買った新しいマンションがどれぐらいできたかを高野に見に行くことにした。鴨川沿いは川床の準備が始まっている。クレーン車で修理をしているお店の多いことに驚いた。



その後下鴨神社に寄ってみた。マンションは鴨川から近い所にあり、近所のスーパーに車を停めた。駐車場からは送り火の左大文字、舟形、妙法が見える。


下鴨神社はマンションから歩いても近い距離。桜はもう散ったあとだが若芽がとてもきれいだった。

糺の森


修繕中の建築物もあり、櫓をちゃんと丸太で組んでいるのがすばらしいなあ、と見入った。そういえばもうすぐ葵祭がある。


祇園祭が庶民の祭と呼ばれるのに対して、葵祭は朝廷貴族の祭と呼ばれ、下鴨神社から上賀茂神社に平安時代の装束をまとった行列が練り歩く。

そのあとは出町柳に近い和食のお店でランチを食べた。これが点心。1050円。出町柳はきれいな地域で、鴨川はいつ来ても四季折々の美しさがある。



出町柳から京阪電車で父のホームに向かった。今個室に移ることを考えている。父の妄想知覚の問題と、これから暑い季節になるので、個室の方が冷房を強くしても他の入居者に迷惑がかからないからだ。


3階に個室が空きましたと連絡があったので、今日は見に行ってみた。角部屋でかなりの広さ。目の前にはお寺が見えるし電車も見える。とにかくこの広さはかなり魅力的。窓が二面にあり、ベット、タンス、キャビネットと入っているがそれでもかなりスペースが残っている。ここに父の好きな革の椅子、冷蔵庫、絵、机を持って来たらくつろぐかなあ、と考える。


ただ問題は、今いる2階で父が仲良くしている佐野さんと離ればなれになってしまうことだ。3階に移動する話をしているうちに佐野さんが泣く。父もその姿を見て涙を浮かべる。佐野さんと離れてしまうのはやはりかわいそうなので、やはり2階で個室が空くまで待ちたいと職員に話してみた。ところが、近いうちに2階に個室が空く可能性はかなり低いということ。


それならとりあえず3階に移動して、2階の個室が空くのを待つ、昼間は2階のリビングでくつろぐことはできるか、と聞いた。勿論それは大丈夫ですよ、と言うことだった。ただ3階の一番左端から2階の右端まで行くのはかなり遠い。

父に伝えると「簡単に移動できる、毎日3階から2階にエレベーターで降りて、簡単に歩いて行ける、運動にもなるから一石二鳥だ」と言う。ちょっと不安はあるが、3階の個室に移ることになりそうだ。

部屋からの眺め



ところで、この左の写真は幽霊が出るので有名な場所。この右側の京都大学のビルは数年前に建て直されたが、それまでは古い建物に幽霊が出ると言われていた。以前は工場があったところで、そこで亡くなった女工さんの幽霊が建物全体を揺らす、と有名だったそうだ。


ホンマに。