2024年3月29日金曜日

京都に自分の墓を買った 1/2

姉からLINEメッセージが来た。


「今◯◯◯。(◯部分は次回ブログに書きます)


ここに両親のお墓を買おうかな、どう思う?」



母が死んで14年、父、8年。


粉骨にしてもらったあと、実家に置き朝晩両親に挨拶してお供えをしていた。


まごころ粉骨さんのすばらしい対応に感謝


この中に両親は入っている


そろそろ自分がいつ死ぬかわからない年齢になったのだから、息子たちに祖父母の遺灰を遺しても困るだろう。


お墓の用意をすることにした。


京都府で樹木葬をしてくれるところはこのサイトによれば31ヶ所ある。


私達は京都市内に限って探し、最終的にはある場所に決めた。


両親の遺灰を埋葬する場所、その隣にもう一つ空きがある。


隣同士の場所はここが最後。


それぞれ1人か2人ずつで入れる。


その場合金額は違うが、そう大した差ではない。

日本で両親と姉と4人家族としての墓も良いか


不思議だ。


私は5月に京都に滞在する時、まだ行ったことのないここに行ってみようと思っていたのだ。


両親が導いていたのかもしれない。


あんたらも、もうええ加減トシやで、早うお墓を考えたら?


いや、両親は、自分たちの墓はいらない、ゴールデンゲートブリッジの下にでも散骨してくれればいい、そう言っていた。


ゴールデンゲートブリッジじゃなくてもどこでてもいい、死んだあとのことなんか気にしない、と。

昭和61年、1日中編み物をしていた母と、
インテリアデザインを考えるのが大好きだったた父


今や姉や私も墓のことを考える年齢になってしまった。


私の遺灰は、半分はアメリカに遺してもいいし、それについては家族が決めてくれればいい(夫は墓は一切いらない、と言っている)。



姉は、両親の遺灰を収める場所の隣に、自分のも買うことにした。


4人のうちの最後の一人がそこに入る33年後に、4人は敷地内の合同墓地に移る。


樹木葬、望むところだ。


墓は自分のためのものではなく、残された家族のものだ。


息子たちがいつか、私と話したいと思った時、何らかの「親がいる場所」があるのもいいかもしれない。


墓じまいはさせたくないし、私も自分の墓は要らないと思っていたが、銀杏の木の下の、墓石もない墓ぐらいならいいだろう。


アメリカのお墓は高価すぎる、だから、「遺灰をその辺に置いてたら、どこかに行ってしもた〜」と息子が言っている姿が目に見えるほど、彼らはあてにならない。


そのうち、灰に猫がオシッコを引っ掛けるかもしれない。


とりあえず京都に一つ、私が土に還る場所をゲットしておこうではないか。

2024年3月25日月曜日

予期せぬ出来事

日本から帰国して、あっという間に1ヶ月がたった。


2月22日に帰国、28日にコロラドに飛び、3月16日にサンノゼに帰った。

なにしろデカいデンバー空港、右を見ると3機飛んでいた
(右端のは小さ過ぎて見えないかも)


コブ付きである。


孫1のヒロを夫と供にサンノゼに連れてきた。



毎月のように飛行機に乗るヒロを、デンバー空港のセキュリティで一瞬見失った。


私と夫がセキュリティチェックのために、検査された荷物をコンベヤーベルトの前で待っていると、横にヒロがいない。


水筒に入ったお水を、セキュリティエリア入ったところの、水廃棄場で悠々と捨てているところだった。


6歳にもなれば、こういうこともできるようになるのか。

飛行機の中では、ゲームをして2時間半があっという間に過ぎる


1週間の滞在中、長男とサキのアパートに連れて行った。


公園で叔父叔母と遊んで満足した毎日を過ごし、親を恋しがるわけでもない。

彼らは本当に甥をかわいがる


サキ母であるMよさんの家にも連れて行き、皆でアイスクリームを食べに行ったり、と雪が残るコロラドから、暖かいサンノゼを満喫したようだ。

Mよさんの住む街にあるおしゃれなダウンタウン


次男がヒロを迎えに来て、昨日二人は帰って行った。


12月21日に日本から帰国

1月7日から21日までコロラド

1月25日から2月22日まで日本

2月28日から3月16日までコロラド

4月はまたコロラドに2週間

その後サンノゼに帰った3日後から日本


と、バタバタと忙しい半年だが、やっと次男一家もコロラドに落ち着いた。


マリーは来週から新しい仕事、孫たちももう6歳半と3歳半。


ヨシ、日本にもこれからはもっと長く滞在し、老後住む地域を開拓するか。


東京の路線図をまたまた見ながら夢想している私のところに、写真付きのメッセージが届いた。


オーマイガッ😱

2024年3月17日日曜日

ドカ雪と愛読書・・・?

コロラドの良いところは、雪が降っても翌日には晴れて溶ける、ということらしい。


確かに年間300日以上晴天の州らしいが、それでもやはりカリフォルニアがいいと感じる。

昨日から8日間の気温


住み慣れた場所がいいのは誰でもそうだ。


水曜日の夜ドカ雪が降り、木金と学校は休校になった。


ここまでの雪は4年ぶりということ(なぜ今?)。


木の枝が何本か折れていた

孫たちは雪だるまを作ったりして大喜びだが、一日おきぐらいの頻度でモールに行き、コーヒーを飲み運動のために歩こうと思っていた私はガックリ。


金曜日の今日、もう雪はかなり溶け始めたが、私には運転はとても無理だ。


夫の幼馴染スティーブがミシガンから来ているので、一緒に朝ご飯を食べに行こうということになった。

車窓から見る景色は、まるで飛行機から見る雲海のよう


スティーブは白人、レストラン客も私と夫以外は全て白人。


ホットケーキと目玉焼きは美味しかったが、コーヒーは驚くほどまずかった。

この朝食は3人分でチップ込み63ドル、9000円ちょっと


スティーブによると、彼が住んでいる地域は日本車を買うのがはばかられるところだが、次の車は絶対日本車がほしい、ということ。


コロラドはミシガン州に比べると、もっともっとブルー(民主党)よりの州である。


が、近所にアジア系の人は殆ど住んでいない。


まるで1985年に、私達がサンノゼに家を買った時のようだ。


当時、引っ越しのあとレストランに友人たち(全員白人)と行ったら、白人以外の人種は私と夫だけだった。


今後、カリフォルニアからまだまだ不動産の値段がリーズナブルなコロラドに移住する人は、増える一方だと思う。

今朝は青空が広がり、道には雪がなくなった


だが、私は日本からもっと遠いコロラドに住むことはないだろう。


カリフォルニアか日本か。


今はまだ決められない。


日本だとしたら、どこに住むのが一番いいのだろうか。


友人が横浜近郊でマンションを探しているが、その報告を聞くのが楽しみになっている。


Aマンションは、I駅から歩いて4分だが、駅からマンションまでの道にパチンコ屋が3軒。


元町に近いマンションは、ワンルームで6300万円、窓からの景色は高速道路。



私も東京か東京近郊に、いつかマンションを買うか借りるかできるのだろうか。


と思いながら、雪道を運転する自信もなく、乾燥しきったコロラドの次男の家で、あてがわれた自室に籠もっている。

次男の家で使っている部屋では、机の前でいつも夢想している


そして、愛読書を見ながら東京に住む自分を想像する。



いや、愛読書ではないな。

愛読図

2024年3月14日木曜日

アメリカにはあるが、日本にはないもの

今日もモールに来た。


高速道路を使わず来ることができるので、運動のためにモール内を歩く。


ここ数年、何かを買いたい!という購買欲がほとんどない。


なので、ショッピングはせず、Nordstromというデパートの前にあるカフェに座って、ブログを書いている。

何時間でもいられる空間が良い
右側にあるのは暖炉


これが習慣になり、ブログをもっと頻繁に更新するモチベをあげようとしているとも言える。


1時間ほど座ってコーヒーを飲んだあとは、モールを2周するが、小さなモールなので歩数はあまり稼げない。


が、昨日はモール2周、Costcoで買い物、夕方裏庭落ち葉かき、とよく動いたので1万歩超えた。

久しぶりの1万歩


思えば、日本にいる時は、ほぼ毎日1万歩を超えるような生活をしていたのだが、2月の東京ではそれができなかった。


なにしろコロナ感染したあとの3日間は沈没。

東京にいる間大好きな銀座ライオンには行ったが、
ここで感染したわけではない


コロナに感染したらすぐ飲みなさい、とかかりつけ医からあらかじめパキロビッドを処方してもらい、日本に持参していたのですぐ飲み始めた。


それでも、今回のコロナの症状は頭痛と倦怠感がひどかった。


2月15日に帰国する予定だったが、急遽帰りを1週間延期。


折しも、日本は受験シーズン。


ギリギリではいつも泊まる比較的安いビジネスホテルが取れない、取れるところは高い。


やっと取れたホテルは、外国人観光客らしき人々がロビーのソファで寝転んでいて、私が座るところもない!


具合が悪いので、少し早くチェックインさせてくだせえ、と頼むと30分早く部屋に入らせてくれた。


が、それでも1泊23500円に心は折れたまま。


地上21階で景色を楽しんでください、という謳い文句だったが、景色なんか楽しんでいられない状態。

できれば3階より上には泊まりたくない


しかし、具合は悪いが薬も飲まないといけないし、一応お腹にも何か入れたい。


食べ物を買いに出かけて帰って来るとフラフラで、やっと21階まで戻った時には、ベッドにひっくり返るだけ。


そうしながらも、このホテルをチェックアウトしたら、次のホテルを探さなければならない。


やはり東京に小さなアパートを持っていればなあ、と改めて思った。


東京(日本)に必要なものはもう2つある。


アメリカにはここまで必要?と思うほどあるのに、日本にはあまりないもの。




ショッピングセンターの椅子
ゴミ箱

2024年3月12日火曜日

コロラドのご近所さん

またコロラドに来ている。


2月に2週間滞在し、3月もまた2週間。


4月に2週間滞在したあと、日本に行くという予定になっている。


とりあえず落ち着くまでは、色々と助けが必要そうで、今回は夫も来て家の修理などを手伝っている。



次男の仕事は、今月新たな一歩を踏み出すための、手はずが整ったところだ。


マリーはいくつかの企業との面接が進み、現在バックグラウンドチェック(雇用調査)が行われているところ。(追記:4月1日からの仕事が決まった)


今のところ、二人はとりあえず預金で生活できているようだが、問題は健康保険である。


家族4人(30代夫婦+子供2人)の健康保険が、月額およそ2800ドルかかるアメリカ。

日本でコロナ感染した時の
診察料金は自由診療で12000円


が、成人した大人なのだから、彼らのことは心配するのをやめて自分のことだけに専念しよう。



今日は初めてコロラドで運転した。


夫の91歳になる母親でさえ最近運転をやめた、と言っているぐらい、殆どのアメリカの地域では運転ができないと生活できない。


なので、私も次男が買った中古車を、コロラドで登録するのを待っていた。


やっと登録が終わり、今日はPark Meadow Mall(ショッピングセンター)に来ている。


コロラドやユタはUnprotected Left Turnと言う、カリフォルニアにはないルールがある。


つまり、信号では左折信号が青ではなくても、対向車線を直進する車が走っていない場合は左折できる、というルール。


カリフォルニアでは左折信号が青の時のみ左折できる、直進する車がいない隙にサッと左折、ということがないので、このコロラドのルールが怖い。


グズグズしていると、赤信号だけど左折したい、という後続車に「はよ、行かんかい!」とクラクションを鳴らされかねない。



とにもかくにも、コロラド運転デビュー。


バックカメラがないので、帰りも駐車場から簡単に出られるように、前進で発進できるように駐車する。

周りの車も全て黒だった

狭い道を巧みに運転する日本人に比べると、なんとも情けないことだが、運転の下手な私は新しい場所で慣れていない車を運転するだけで、ドキドキした。


コロラドは私を少しは強くしてくれるのだろうか。


裏庭ではエクササイズと思って落ち葉を掃除し、表に置いた大きなゴミ箱に運んだりしている。


そこにお向かいの奥さんであるメアリーさんが現れた。


「まあ〜、その瓦礫をゴミ箱に運ぶのは大変でしょ?私が手伝ってあげるわ」だって。


ご近所さんたちは、朝鶏が産んだと卵を持ってきてくれたり、とてもフレンドリーだ。

これは裏庭に面した家のリンダさんから
冷蔵庫に入れずに2週間保つという自宅の鶏が産んだ卵


「ありがとう、でもいい運動にもなるし、ゴミは自分たちで運べますから大丈夫。」と遠慮する。


「そうぉ〜?いつでも助けるから声かけてね」と肩にかかる金髪をなびかせながら、自分の家に帰っていくメアリーさん。


この奥さんは「この地域にようこそ」とお花を持って来てくれた人だったな、と思い出す。

手伝うことがあればいつでも電話してね、と
電話番号がカードに書き込まれていた


次男がゴミ箱に瓦礫を運んでいたら、メアリーさんの家から何かが近づいてきた。


KUBOTAのトラクターが次男の家に向かって近づいて来ているのだ!


「見ていられないから勝手に来たわ」とトラクターで瓦礫をすくって運んで行くメアリーさん。


カッケー❗❗

2024年3月1日金曜日

この1ヶ月

過去1ヶ月あまりにもたくさんのことが起きたような気がする。


が、何も起きなかったような気もする。



まず、1月末から次男、社員2人、そして私(一応社員)と4人で日本に行き、起業のための勉強をしてきた。



彼らが帰国したあと、私は一人で日本を楽しみ始めた。


京都中京の風景
50年前に毎日前を通っていたボタン屋さんがまだあった!


角のビルは梶井基次郎「檸檬」に出てきたお店
が、このお店は思い出の中で、50年間左(西)側にあった



銀座には一度しか行けなかった


が、なんとコロナに感染してしまい(常にマスク着用だった)、15日帰国予定を1週間延長し、陰性を確認した3日後の22日にやっと帰ってきた。


22日のUA838便はガラガラだったので、これに決めた


その6日後、今度はコロラドに飛んだ。

SouthWest航空会社で飛ぶのだが、毎回満席


再来週孫#1ヒロを連れてサンノゼに帰り、1週間ヒロはサンノゼに滞在する。


本来ならイギリスとフランスに行く予定だったのに、コロラド、そして日本という予定に変更になってしまったわけだ。



コロラドはやっと暖かくなり道路には雪もないが、彼らの車のどれをも私は運転できない。


トラック(運転したことがないので怖い)やマニュアル車(怖い)などなど、どれも怖い。


年寄りは新しいものになかなかなじめないものなのか。



が、若者とは違う良さもあるかもしれない。


今の若者たちは優しい、とよく言われる。


確かにそうかもしれない。


生き延びるための力が強かった、戦争経験をした我々の上の世代。


スマホもなく、何もかもが簡単に手に入るわけではない時代を生きた我々の世代。


日本滞在中は、「不適切にもほどがある」をテレビで見ていて、今の世代の若者達の状態に大きく頷いていた。


何もかも簡単に手に入る恵まれた時代を生きる息子たち3人を見ていると、彼らは皆優しい。

吉祥寺でイタリアンブランチ


そしてその中で、人々の中に飛び込んで行き、新しい風を起こさないといけないのは次男である。


起業するということは大変なことなのだ、強い精神力がないとできない、と今つくづく感じている。


そして、次男はそれができるのだろうか、とボーッと電車の中釣り広告を見ていた。


起業する、ということは
これとは正反対の精神を持つことであるのだな

2024年2月9日金曜日

日本の「アレ」

日本では日々移動、通訳、話し合い、観光、と忙しく過ごしている。

やっぱり富士山は世界一の美しい山である


あと数日で帰国だが、帰国後すぐにコロラドに移動し、場合によってはまたすぐ日本に帰って来るかもしれない、という生活。


男子たちは京都の実家に泊まった


次男の仕事に関しては、驚くほどいくつもの偶然が重なって刺激的な事が続いている。


私は通訳として補助することが脳の刺激になるかも、と期待しているが、今のところ物忘れは改善していない。


なのに、どこのお店の何が値段のわりには美味しいか、という脳内データベースだけは日々更新を続け、忘れない。


そして、一度でもテレビに出たパンやたい焼きなど、食べ物のお店はどこも長い行列があり、こういうのに並ぶには仲間が必要であることも学んだ。

門仲たむらパン


四ッ谷わかば


とにもかくにも、今回視察に来た次男(+社員2名)は帰国した。

帰国直前に新丸ビルでランチ


日本にある、全ての人を無気力にさせる「あれ」を発見して。

好戦的な国に送りたいそうです